あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

皐月のスタートなのに

昨日は風薫る爽やかな5月の初日だったというのに、昼でも薄暗い雨に雷鳴までとどろき、竜巻被害やさらに宮城県では震度5強地震が起きるという大変なスタートとなった。

 

昨年のゴールデンウイークは初めての非常事態宣言に列島全体が縮みあがったようになっていたが、二度三度となれば人々も慣れてしまい、あちこちで結構な人が出歩いているらしい。感染者の増加はどんな変化を見せ、解除の時期がどうなるのか。

 

あまり感染者の減少は期待できないし、オリンピックどころではないと思うのだけれど、何がなんでもこのまま突き進むのだろうか。相変わらずアスリートたちからは「頑張ります」という声しか聞こえてこない。長いことマスコミにもてはやされている間に、すっかりスポーツ選手は庶民に感動を「与える」特別な存在だと勘違いした人ばかりになってしまったのだろうか。

 

3月は妙に暖かく桜も他の花々も今年は早いようだが、4月は案外冷えた。昨日も今日も5月とは思えず、少々肌寒ささえ感じる。この連休はあまりお天気もパッとしないようだ。コロナ慣れしてしまった人間たちが陽気に浮かれて出歩かないよう、お天気の神様が空気を読んでいるのか。あるいは、科学的な対策は苦手らしいこの国のリーダーたちから、「せめて芳しくない天気にして!」と、お願いの電話かファックスでも行ったのだろうか。

 

 

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赤のアマリリスが勢いが良すぎて心配したが、無事に白の蕾も伸びてきた。しかも2本!

 

芸能・文化の力に酔う『仏果を得ず』三浦しおん著

高校時代、健(たける)は教師たちには「グレている」「要注意の生徒」と見られていた。その高校の修学旅行で、狭い国立文楽劇場の座席に縛り付けられるようにして鑑賞することになった文楽。前夜も大阪のホテルを抜けだし、仲間と遅くまで道頓堀界隈をぶらついていた健は、幕が開く前から熟睡した。心地よく眠りに身を委ねていた彼は、突然だれかに石をぶつけられたように感じて目を開ける。

 

やがてそれが石ではなく、舞台の人間国宝笹本銀大夫の語りであることに気付き、話の筋もわからぬまま健は引きこまれ、しまいには石つぶてではなく、きらきらと光る星の欠片を全身に浴びている心持になってしまう。

 

こうして銀大夫の元に弟子入りした健大夫の物語が始まる。

 

扱っている題材の渋さに似ずカバーの絵は漫画のようであるが、扉には少し厚手の紙の定式幕が畳み込まれているという凝った装丁になっている。

 

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上の写真でもわかるように、8つの章のタイトルはすべて文楽の演目になっている。気楽に楽しく読みながら、自然に文楽や演目の内容について理解を深めていくことができる。

 

健の周辺の人物が非常に魅力的だ。まず、師匠笹本銀大夫は80歳の人間国宝でありながら、いまだ枯れることを知らず、銀座から応援に飛んでくる若い女性アケミちゃんに鼻の下を伸ばしている。そして師匠から今後相方として組むように言われた三味線の兎一郎は、三味線の腕はいいがろくに口もきかない変人だ。しかし彼がそうなったのは、なにか過去に原因があるかららしい。

 

健は近くの小学校に文楽を教えに行っているのだが、3年生のミラちゃんは文楽への愛も深いが、「健先生好き!」とぐんぐん迫ってくるおませさん。その母岡田真智さんはキリっとした美人で、文楽修行に入ってから初めて、健は女性で心を乱されるようになる。

 

周辺の人物はなかなか濃いのだが、主人公の健は文楽に入れ込んでいるという以外は思いのほか軽くて薄い今どきの若者だ。高校時代「不良」とされていたことなどと考え合わせると、文楽に出合わなかった彼の人生がどんなものになるか想像できるような気がする。そう考えるとき、何であれ、夢中になれるものを見つけた人の幸せをつくづく思う。たとえ才能が伴わず、回り道に終わったとしても。

 

この物語を読むまで、文楽と言えばまず人形が浮かび、人形遣いの人々の苦労や努力は思ったことがあったが、三味線や語りのことを考えたことはなかった。これほどまで、物語の登場人物の心理を追求し、深く考えたうえで演じているとは思いもしなかった。

 

先日読んだ『芝浜謎噺』の落語もそうだったが、古典芸能の世界の奥深さに改めて感心する。そうして、こういうものをただ経済や効率の面からだけの価値観で切り捨ててしまう、橋下氏をはじめとする維新政治の貧しさに憤りを新たにした。

 

 

 

『消滅』より先にこちらを読み終えていたのだが、昨夜、一気読みの末興奮冷めやらぬうちにエントリーを仕上げてしまい、こちらが後になった。

 

 

 

 

もうどうにも止まらない『消滅』恩田陸著

今日は筋トレもウオーキングもさぼってしまい、いつもなら夜は読書をしないことにしているのだけれどそれも破って、山本リンダさん(若い人は知らないだろうな)じゃないけれど、もうどうにも止まらない~♪という状態だった。523ページの分厚い本を一気読みしてしまった。新聞小説だったようだから、読者はさぞかし翌日のストーリーが気になったことだろう。

 

恩田陸さんの『消滅』。舞台は現代、よりちょっとだけ先あたりの未来だろうか。9月30日の午後から翌朝までのとある空港(成田ではないらしい)の一隅でのできごとだけを描いている。『夜のピクニック』といい、この著者はたった半日や一日の出来事を長編小説にしてしまう名手だ。

 

ある空港の入国カウンターで、11人の男女(子供1人を含む)が入国を拒否され、どうして紛れ込んだのか1匹のコーギー犬とともに別室に連れていかれる。折しも外は日本列島をすっぽり包んでしまうほどの暴風雨圏を持った巨大台風が接近し、昼なお暗く強風が空港のガラスを叩いている。

 

別々の便で到着した乗客たちだが、当局がつかんだ情報によると、その日の午後の便で最後のメンバーが到着次第、「消滅」というコード名のテロが決行されるらしい。そしてそのテロリストの可能性を有しているのが、その11人だった。

 

やがて別室に隔離されたなかの1人が、彼らを監視するための精巧に作られたアンドロイドと分かり、そのアンドロイドから、テロリストを見つけ出さない限り解放されないと告げられ、窓もない部屋に閉じ込められた人々の交流や疑心暗鬼が始まる。

 

巨大台風、通信回線の途絶え、そして次第に隔離された仲間の中に、テロとは別の不穏なものが見えてくる。アンドロイドも時々底知れない表情を見せる。誰がテロリストなのか、隔離された人々は無事家路につくことができるのか・・・。

 

怪しいことばかりが積み重なっていって、最後の最後で一気に謎が解け、それまでの伏線も回収される。しかし、実は大きく切実な問題が一つ解決されない。まあ、それは登場人物たちも魅力的な人が多いので、その中の誰かを主人公に続編が書かれることを期待しよう。

 

驚いたことに、この物語の中に世界のあちこちでぽつりぽつりと発生している謎の感染症として、「新型肺炎」「コロナウイルス」という言葉が出てくるのだ。思わず奥付を確認してしまった。2015年の発行である。恩田さん素晴らしいストーリーテラーであるばかりでなく、予知の能力までお持ちなのか?

 

 

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別れた人からの贈り物は捨てる派?

明日は天皇誕生日、じゃなくてみどりの日、じゃなくて昭和の日。ゴールデンウィークの幕開けだが、昨年同様コロナ禍真っ最中ゆえ、報道も遊べ遊べと煽ることもできず複雑そうな世の中だ。が、私は相変わらずの365連休中の1日に過ぎない。

 

10本ほど出ているアマリリスの花が、おとといあたりから開き始めた。この花もやはり今年は少し早い。白の花が出てくれると嬉しいのだけれど、赤の方の勢いがあまりに良いので、白が消えてしまわないか心配だ。

 

ところで、世の中の多くの人は、別れた人から贈られた物は捨ててしまうのだろうか。私は、気に入っていなかった物は、持ち続ける義理もなくなったことだから処分してしまうが、気に入っている物なら「物に罪はないのだし・・・」と、手元に残して平気な性分だ。

 

息子たちの父親である元夫にもらった服やアクセサリーは、まだいくつも残っている。そうした中で、気に入っていて手放しがたかった服を、ついに処分することにした。

 

30年ほどの間に2、3回しか着ていなくて新品同様だが、いかんせん、さすがに肩のラインに時代を感じるようになった。肩パッドが後付けの物なら外せば何とかなるかもしれないが、きちんと裏地の中に仕立てられいるうえ、やはり今の物とは微妙に袖付け位置が違う。

 

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        着る機会がほとんどなかったため写真もなく、記念のためここに掲載

 ホテルの中にテナントで入っていたブティックの、とても自分では買えない高価な製品。地紋の光沢のある生地にウエストのたっぷりした幅のサッシュが華やかで、気に入ってはいたがあまり着る機会がなかった。特に豊橋に戻ってからは、高校生と大学生の息子たちはあまり私に経済的負担はかけなかったものの、私はゼロからの就職で、食べさせるだけで精一杯、ちょっとドレスアップして食事に行くなどという機会も持てなかった。

 

元夫は服にしろアクセサリーにしろ選ぶセンスは結構良かったが、手元にお金があればあるだけ、なければサラ金にも手を出してしまい、後のやりくりは私任せなので単純に喜んではいられなかった。実質的には自分で買ったようなものか。でも、このワンピースは別れた後だったので、純粋に「もらった」と言える。

 

青森時代の友人には、私と同じように夫で苦しんだ人が2人いて、みな申し合わせたように周囲からは旧家と言われる家の長男で、彼女たちは「大事な家の後とりだからとちやほやされて育った男は、ちょっと人生が自分の思うようにならなくなるとヘたっちゃうのよ」と同じことを言った。

 

その彼女たち、ともにはやばやと天国に召されてしまった。私だけがいまだに生き残っているのは、やはり神経が図太いからだろうか。

 

 

個人的な懐旧譚を綴ってしまったけれど、わっとさん(id:watto)ではないけれど、そもそも何という得意ジャンルもなく、自分の趣味と備忘のためのブログなのでご容赦願います。

 

オオタトオルさん、次の著作を待ってます!

『草葉の陰で見つけたもの』という、著者二十歳(はたち)の時の作品を読んだ。工業高校を出て勤めた会社を辞め、初めて書いたこの作品で、いきなり小説宝石新人賞を受賞したという作品だそうだ。

 

受賞作である表題作と、『電子、呼ぶ声』という2つの作品を収録している。『草葉の・・・』は戦国時代、『電子・・・』のほうは近未来を舞台にしている。

 

『草葉の・・・』は、織田信長の屋敷に盗みに入って捕らえられ、斬首ののちさらし首にされた、その「首」が主人公という変わった設定である。そして通常であれば最もそのようなものを忌まわしく思いそうな若い娘が、なぜか足しげくその首の前に通い語り掛ける。

 

恵まれない暮らしの娘は、一日の労働の後に「首」を訪れ語り掛けることで、かろうじて自分を保っているらしい。一方、生きていた時から人間らしい暮らしとは縁遠かった「首」の方は、自分を恐れもせず毎夜語り掛ける娘に次第に温かな思いを抱いていく。

 

とんでもない設定ながら、「首」の細やかな心情描写にひかれて読んでしまい、おぞましい絵づらであるはずの物語ながら、結構心地よい読後感を得る。

 

『電子・・・』のほうは、裕福な暮らしができる人間と、非人間的ともいえる状況で狂暴化している貧しい人間とが居住区を分けて暮らす近未来、裕福な人間は家事や警備のロボットを使用する。

 

母親を亡くした2人の娘を持ち、仕事で不在がちな父親は、家事と娘たちの警護を兼ねて一体のロボットをレンタルする。そのロボットの視点で、契約期間の1か月の出来事を綴るのがこの作品だ。

 

映画などで何度も描かれてきたような話だけれど、学校に行くことを拒否しロボットを受け入れようとしない姉のマユミと、人懐こく(人ではなくロボット相手ではあるが)なじむ小学生のエナの姉妹の描写や、心を持たないロボットの独白に魅力があり、一気に読み進み、予測できる展開ながら結構感動してしまった。

 

この本の出版から13年、まだ著者の次の作品は出版されていない。書き続けているのか、書けないでいるのか分からないが、この2作品を読んだ感じでは弱冠二十歳の作とは思えない力を感じさせ、次の作品を読んでみたいという気持ちになった。

 

 

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1割引きの感謝デーと時間の感じ方の考察

今日は6の付く日で、私の利用するスーパーの1割引きの感謝デーで、まとめ買いに出かけた。6の付く日だから月に3回やってくるわけだが、これが実に速く感じる。間に10日もあるとはとても思えない速さでめぐってくる。

 

子供の時の1年は長い。それが中学校に入ったあたりから時の過ぎ方が速く感じられるようになり、二十歳を過ぎるともう年々加速度がついていく感じだ。

 

これは小学校くらいまでは、1年のうち強く意識する日は誕生日とクリスマスとお正月くらいなのに対して、中学校からは中間テストとか期末テストというものが始まり、だんだん時を細かく刻むようになるためではないかと私は思っている。

 

退職するまでの11年間総務・経理職だったが、この仕事は支払日とか入金日、給与の振込手続きの期限だとか、1か月が細かく区切られる。1年はボーナスや決算・年末調整など、やはりたくさんの節目があり、それらに追われるうちに1か月・1年が過ぎるのがとても速く感じられた。

 

ところが人間というのは面白いもので、給与を支払う仕事の1か月は非常に早くめぐってくる気がするのに、それを受け取る社員としての給料日は、なかなかやってこないように感じるのだから勝手なものだ。

 

仕事をやめて毎日が日曜日、365連休の生活になり、これからは時間の進み方もゆっくり感じるようになるのではないかと思ったのだけれど、前述したように、10日ごとのまとめ買いの日を意識するためか、期待したほどゆっくりとは感じない。お正月など、子供の頃の3倍くらいの速さでめぐってくる気がする。

 

母の年齢まで生きるとすると、あとまだ30年近くもあると気が遠くなる思いだが、案外この調子だとあっという間なのかもしれない。何事もなせそうもないが、なんとか心穏やかに、ほんのちょっとでも人のために動ける日々を長くしたいものだと思う。

 

 

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猫のように、存在そのものが癒し、のように生きられたらいいのだけど・・・。

意外な展開『ア・ハッピーファミリー』黒野伸一著

いかにも幸せそうな題名、明るい装丁、そして冒頭ののどかな描写で、すっかりほのぼのしたお話だと思って借りた。

 

そうしたら、思いがけない展開を見せた。ある一つの家庭の話だ。祖母と、その祖母がいまだに溺愛しているのであろう父親と、その男の若き日の美しい顔に一目ぼれした母親と、三女一男の子供の、7人家族の約1年間の物語が、三女ミキの視点で語られる。

 

一見仲も良くのどかそうな家族の様子だが、やがてこの家庭が様々な問題をはらんでいることが明らかになってくる。まず、父親は失業中である。祖母はそんな息子に文句も言わず、せがまれればパチンコや酒のための小遣いを与えている。

 

長女で短大生のナナコは家を出て一人暮らしをしているが、親には内緒で、どうやら頼りない男性と付き合っている。父親の美形の遺伝子を受け継いだ二女のマミは、自分の臭いが異常に気になったり、食事は味噌汁しか食べようとしないし、どうも精神的に不安定そうだ。

 

主人公である三女のミキは年齢より大人びていてごくまともそうなのだが、クラスの中でなぜかだんだんはじかれていく。ミキの年子の弟源五郎は母親の知性を受け継いだのか成績は優秀だが、体も小さく少々弱々しい。

 

こうしてミキのクラスのスクールカースト(この言葉自体は出てこないが)の様子や、家庭や長姉の周辺が描かれ、事態は少しずつ緊迫の度を増していく。

 

それでも挫折せず読み進められたのは、ひとえに中学2年生のミキの落ち着きぶりが信頼できたからだろうか。また、ドラマチックなヒーローは出てこないが、彼女を支える存在も、地味ながら信じられる気がした。

 

登場人物の多くは、実際にもこんな人はいそうだなと思える、普通の人たちだ。ちょっと弱い部分があったり、周囲に流されてしまったり、直した方がいいと分かっていてもなんとなくズルズルと過ごしてしまったり・・・。

 

そうしたものが重なり合い、ふとしたものが引き金になって、時にとんでもない事態に至ったりする。物語は悲劇にはならず、平穏な家庭に収束する。もう冒頭ののどかさに完全に戻ることはないのだろうけれど、ごまかさないでぶつかり合っただけ、この家族の未来は信じられるように思う。

 

いじめも家庭の問題も実際には非常に難しく、物語のようにうまく収まるものではないかもしれない。けれども、どちらの問題についても、この作品に提示されたような対処は重要な意味を持つだろう。誰もが、逃げずに立ち向かえるというものではないだろうけれども。

 

それにしても、ミキの級友桜井君の言葉、

 

「おれ、経験してみてやっと分かったよ。目つけられたら最後、うまくやれなんて悠長なこと言ってらんねえ。大人がこんなことしたら犯罪だから、すぐ警察が動くのに、おれたちゃ野放し状態だろう。

 学校に言ったって、どうせらち明かねえし、もみ消されたり、形だけの仲直りさせられるのが落ちだろう。ガキだと思ってんだ。そんであとでまた、ボコボコにされてさ。テメー、ちくったなって。」

「大人には警察がついているのに、おれたちにゃ味方は誰もいねえ」

 

この、なんという重さ!「いじめ」などという半端な言葉でごまかしていないで、いい加減、大人は本気でこの問題に向かい合わなければいけないのではないだろうか。

 

 

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