あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

はっぴどんとシンクロニシティ

昨日の午後、怖ろしいほど激しい雨のあとすっきりと上がったので、一枚の葉書を書き終え、少し運動しようと外に出た。

 

葉書をポストに投函した後、以前毎朝のウオーキングのコースだった、畑や少しばかり雑木林の残る道へ。ウグイスの鳴き声が聞こえ、ツバメが気持ちよさげに飛んでいた。

 

葉書は一回りほど年の違う姉へ宛てたもの。大変な状況下、くれぐれも健康に注意して、またいつか会おうという言葉に、「30年ほど前、姉上が見せてくれた帝劇の『レ・ミゼラブル』を思い出しながら、NHKのドラマを楽しんでいます」と添えた。

 

青森に住んでいたころ、帰省の折には途中神奈川の姉の家で2、3泊するのが常だった。舅たちへの気兼ねから2年に1度くらいしか帰れない私のために、姉はこうした劇場のチケットや、当時オープンして間もなかったサントリーホールや文化村のコンサートホールのチケットなどを取って待っていてくれた。

 

その姉から今朝電話があった。昨日投函した葉書が着くはずはないから、またシンクロニシティだ。「また」というのは、前回もちょうど私が葉書を出したその日に、姉から電話がかかってきたからだ。

 

これは行為のシンクロニシティだが、言葉の場合、2人の人が同時に同じ言葉を発した時に、みなさんはどうしただろうか。もちろん大人はどうするということもないだろうけれど、子供の時、「はっぴどん・・・」なんて言わなかっただろうか。私の子供のころは、このあと「お先に出世!」と続けた。確か相手の肩を叩きながら。そして笑い転げたものだった。

 

それにしても、以心伝心なのかたんに気に掛けるころ合いが似ているのか知らないが、毎度まいど葉書の投函と電話のタイミングが重なるとは、姉妹って面白いものだ。

 

 

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11歳も違うので、子供のころはこんなに差が・・・。