あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

人のために働く仕事

こんなコロナ騒ぎになっていなければ、今日は高校の同窓会が開催されていた。どこの同窓会も似たような形式かも知れないが、私の母校では、卒業後25年の学年が幹事を務め、卒業後50年の学年が主客となる。今年は私の学年がその50年の年で、早くから、懐旧の情をかきたてて参加を促す便りが届いたりしていた。

 

豊橋に戻ってきた頃、ちょうど25年の幹事担当の年が近かったため、「地元に戻ってきたのなら、ぜひ手伝ってくれ」と声をかけられメンバーに加わった。けれども、幹事が集まって作業する時も同窓会当日も、私が長い田舎暮らしで感覚がずれていたのかもしれないが、なんとなくプチブル(古い!)的な雰囲気が鼻につき、馴染めなかった。それ以来高校の同窓会には参加しておらず、今回も欠席で返事をした。

 

生徒会の執行部を一緒にした仲間から、この機会にぜひ30年ぶり(三十代の時に一度このメンバーで名古屋で旧交を温めた)にまた集まろうという提案があり、こちらは、とても気が合って楽しく仕事をした仲間なので、参加することにしていた。ところがこの緊急事態で、同窓会はもちろんだが、執行部の集まりも中止になってしまった。

 

おそらくどこの進学校でも、生徒会活動なんてもの好きのすることになっていることだろう。私たちも、会長(この人は超のつく特別で、自ら会長に立候補し、しかも私たちのあと別のメンバーともう一期務めた)以外は皆前任者に拝み倒されてしぶしぶ受けた者ばかりだった。

 

ところがいざ活動が始まってみると、妙に気が合い、毎日授業後に生徒会室に行くのが楽しみなくらいになった。話が弾み過ぎて、箸が転がってもおかしい年ごろでもあった私など、笑い過ぎてなかなかガリ版切り(書記でした)が進まなかったほど。下校の音楽が流れだしてやっと本格的にエンジンがかかることが多いような日々だった。

 

私だけでなく、皆同じ思いだったようで、誰が言い出したのだったか、メンバー7人で交換日記(懐かしい!)まで始まった。三十代で集まったときには、そのノートも保管責任者(しっかり者の副会長が、集まるときの世話役もこのノートの保管もしてくれている)が持参してくれて、賑やかに懐かしく読み返したりした。

 

ハンカチ落としのハンカチのように、「自分のとこに来ませんように・・・」と願われる生徒会の役目だったけれど、やってみれば3年間の高校生活で一番充実した楽しい経験になった。最後には、会長が留任することもあって、皆「もしも後任が見つからなくても、このメンバーならもう一期やってもいいね」と口をそろえるほどだった。幸い全員なんとか引き受け手を確保し、めでたく退任できたのだけれど。

 

 

学校と国家と、規模は違えど、本来人のために働くということは厄介なことだろう。誰かが引き受けなくてはならないから、やむを得ずするけれども、任期が来たらあら嬉しやと退任する。現実的な報酬より、感謝されることこそが報酬であり名誉・・・。実際これに近い形で首相や大臣が働いている国もある。

 

それなのに、ああそれなのに。非難ゴウゴウ受けながら、法を変え解釈を変え、公文書を改竄し廃棄し、ありとあらゆる手を尽くして居座りたがっている権力者がいる。ついに、この国民の命の危機のどさくさに紛れて、検察庁法の改正をして、自分の息のかかった検事長を据え置こうとさえしている。

 

こんな卑怯なことを許してはならないと思い、今日はかなりTwitterに注目しているのだが、不思議なことにトレンドの数字がコロコロ変わる。朝注目のハッシュタグの数は240万を超えていたのに、今は190万台になってしまっている。今までも政権に都合の悪いことはどんどん消されてきているのでまたかという気持だが、それにしても、官も民も、この国はデータとか統計とか記録とかいうものがなくなってしまい、発表する側の都合の良い数字を創造すればよいことになってしまったようだ。

 

 

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こんな選挙だったら楽しいね!        (画像はネット上から拝借しました)