あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

意識せずにいられるありがたさ

最近、郵便物の配達される時間がかなり遅い。以前はたいてい午前中に配達されていた。それが、このところ夕方もかなり遅い時刻になった。5時か6時過ぎだったりする。たんに回り方が変わったということならいいのだけれど、多忙になっているためではないかと気にかかっている。

 

そんなこともあって、先週千葉の友人からピーナッツの贈り物が届き、これまでならお礼の葉書をしたためるところなのだが、今回はメールにさせてもらった。私の年齢だと、なんとなくメールというのは手抜きのような気がして、封書とまではいかないまでも、せめてきれいな絵葉書でお礼の気持ちを届けたいと思うのだけれど。

 

私が1枚の葉書を控えたところで全く大勢に影響ないとは思うけれど、気は心、だ(それなのに、こんな時に猫のクッションを購入するとは矛盾だと少々反省している)。そして、ふだんこんなことを考えもしないで手紙を書けていたことのありがたさを思う。手紙だけに限らない。ちょっと台所をさぼりたいとか、プロのお料理を楽しみたいと思えば、いつでも好きなお店を選んで外食できた幸せ。スーパーやドラッグストアに行けば、安価なマスクがいつでも手に入った便利さ・・・。

 

いま、私たちはさまざまなことが簡単には手に入らないことを体験して、しみじみ今までの当たり前の生活のありがたさをかみしめている。それらは全て、携わってくれている人々の、地味で堅実な営みに支えられていたのだ。仕事なのだから、それでお金を稼いでいるのだからといったことだけでは片づけられないように思う。

 

蛇口をひねれば水は出るものと思い、電気やガスはいつでも通っているものと思い、朝起きれば新聞や牛乳が届いている・・・。ふだんはまるで意識することのない「当たり前」のことが、たくさんの努力と幸運に支えられていたのだ。

 

小学生の時、担任の教師が「体は具合が悪くなると初めて、そこにその臓器があることを意識する」というようなことを言われた。なんともない時はそれを忘れて暮らしていると。元気な子供の時にはピンとこなかったが、年をとるにつれてその言葉の重みが増している。悲しいことに、近頃では意識しない体の部位のほうが少ないくらいだ。

 

政治も同じで、うまくいっているときには、民は為政者が国を治めていることを意識しないという。戦後の焼け野原からの復興で、まじめに働いていさえすれば生活は常に向上し便利になる時代を生きてきて、日本人は少々政治への意識が薄すぎたようだ。意識せずにいられたことは幸せなことだけれど、もしかしたら注意を故意にそらされていたかもしれない。もっと慎重になるべきだった。

 

でも、過ちては改むるに憚ることなかれという。今の政権の度を越した横暴さのおかげで多くの人が気付いたのだから、改めればよいのだ。政治的発言、どんどんしよう。そして、いつか意識せずにいられるくらい良い政治になっても、今度こそ「不断の努力」で自分たちの権利を守ろう・・・と思うが、そのうち私たちはこの世から消え、またこの経験を知らない世代が歴史を繰り返すのだろうか。

 

 

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朝ドラで誤解されているといけないので、東三河地方の味噌汁の名誉のために主張。

八丁味噌の味噌汁でも、当然具は入れます!それに、そもそも八丁味噌というのは岡崎のもので、豊橋あたりではあまり「八丁味噌」という意識はないように思う。赤味噌、赤だし。というよりも、「味噌」と言えばこれ!。で、赤味噌以外のものを「白味噌」とか「ミックス」とか呼ぶ。