あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

社会の受容ということを考えさせる『慟哭の家』江上剛著

再開された市民館図書室利用の最初の本である。自粛生活を余儀なくされてから、得意だと思い込んでいた引きこもりなのに、なんだか心が落ち着かず、読書もあまり進まなかった。自分の読書力や集中力の衰えなのかといささか心配になっていたが、久々にぐいぐいと引き込まれる読書体験ができ、ちょっと安心している。

 

この著者の作品は初めて。元金融マンで経済小説の作家という認識でいたが、この作品は、主要な登場人物の勤務先が信用金庫ではあるものの、まったく経済小説ではない。ダウン症の息子を持った父親が妻とその息子を殺害し、無理心中を試みるも自分だけ生き残り、その弁護が国選の依頼として回ってきた弁護士を中心にして綴られる。

 

物語が、事件の周辺の様々な立場の人間から、第三者の視点で語られることもあって、障碍者とその家族という、ともするとお涙頂戴になりがちなテーマをとても冷静に扱い、考えさせる。しかも被告人である父親が断固死刑を求めるという状況から、若き弁護士には難しい仕事となり、彼はたんに刑を軽くするとか情状に訴えるのでなく、あえて冷徹なまでに被告人を自分の罪と向き合わせ、犯行に至るまでの真の感情を見つけさせようとする。その中で、日本の抱える深い問題点も浮かび上がってくるように思った。

 

被告押川透は幼いころ母に捨てられ、継母には虐待されて育った。職場の信用金庫でも人間関係は築けず、また仕事でもあまり有能とは言えず、上司にはいじめとも言える仕打ちを受け、どこにも自分の居場所を見つけられずにいた。妻由香里と出会い受け入れられ結婚することで、やっと自分も理想の家庭を作れると喜ぶが、生まれてきた子供はダウン症児だった・・・。

 

押川の息子が通っていた作業所の担当者や、ダウン症の子を持つ親の会の活動などを通して、一定の年齢になったときに子供を他者にゆだねるという選択が語られる。押川は親だけが愛情をもってみることができるし、人に世話をかけてはいけないと、職場にも親戚にも我が子の障碍を話さず、妻に一任してきた。母親に甘やかされ、大人になって体力では父親すらしのぐほどになったとき、息子は荒れると押川も制御できないほどになる。

 

日本ではどうも子供は親の従属物のように扱われがちだ。そのため親子の無理心中も同情的に受け止められることが多い。虐待や育児放棄の場合に、役所や児童相談所が思い切って踏み込めないのも、もちろん人員不足で手が回らないこともあるが、それ以上に、子供は親の所有物のような遠慮が働くのではないかと思う。本当に子供が社会の財産であり、社会で育てられるものという認識があれば、もっと適切な段階で行政が関わって行けるように思う。

 

重度の知的障碍者施設で衝撃的な障碍者の様子を描き、着床前診断出生前診断についても触れ、命とは何なのか、社会は命とどう向き合うのか、という難しい問いを読み手に投げかけてくる。

 

現在の社会でも、障碍者は隔離されることが多く、一般には目に触れにくくなっている。これから出生前診断などで命が選別され、均質な人間が多くなればなるほど、さらにまたわずかな違いに着目して、差別やいじめが増しはしないか。そんな社会は、誰にとっても今よりさらにまた生きにくい世界かもしれない。

 

 

これから私たちはどんな社会を目指すのか。コロナ後を考える、時代の曲がり角にいる今、考えを深められる読書だった。

 

 

f:id:yonnbaba:20200530181723j:plain