あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

意外な黄門様像と私好みの主人公『いのちなりけり』葉室麟著

読み始めてしばらくは、誰が主人公なのかも分からない。次々さまざまな人が登場し、しかも時代物のことゆえ、名前が何度も変わったりするからさらにややこしい。翌日読み始めると、あらこの人はどういう人だったろう・・・と前の方のページを繰る始末で、前半は少々読書の波にのれなかった。

 

が、それこそがこの物語の主人公らしさなのだった。地味で風采が上がらない主人公だが、読み進むにつれてその魅力にぐんぐん引き付けられ、楽しい読書に変化する。

 

時代は五代将軍綱吉のころ、九州は佐賀鍋島藩を中心とする物語だ。その鍋島の支藩である小城藩重臣の家に生まれた咲弥(さくや)と、彼女の父親に婿にと見込まれた男雨宮蔵人(くらんど)の恋物語に、実在した人物や島原の乱などの事件を織り交ぜながら話は進む。

 

蔵人にとって咲弥は、少年の頃に桜の木の下で出会った初恋の少女だったが、男雛と女雛のように似合いの夫婦だと言われながら、早世した前夫のことがまだ胸にあった咲弥のほうは、婚礼の夜、蔵人を冷たく突き放す。

 

やがて二人は鍋島藩の本藩と支藩の因縁に翻弄され、咲弥は水戸の光圀のもとに仕えることになり、蔵人は主家の意を受けて「古今伝授」を受ける家臣の護衛として京都へ赴くことになり、遠く離れて、二人の間に長い年月が流れる。

 

水戸光圀や助さん格さんに当たる人物も登場するが、なんと言っても、光圀が好々爺といったイメージの黄門様とはまるで違う、権力欲旺盛かつ好色で非情な人物として描かれていて驚く。

 

無欲の蔵人が、運命に翻弄されて幾多の危難をくぐり抜けながら、水戸の咲弥のもとを目指す。命のやり取りの淵を渡りながらも、彼女から婚礼の夜に課された「これこそ自身の心だと思われる和歌」を探しながら・・・。

 

 

読みながら、なぜか私の頭の中には蔵人として村田雄浩さんが浮かんでいた。逞しい大きな体、一見のっそりとして鈍牛のよう・・・。けれどもひとたび危険が迫れば並外れた剣の腕を見せる。罠であろうと報われなかろうと、愚直に武士の誠を尽くす。そう、私の好きな言葉「愚直」である。主人公蔵人の魅力を一言でいえば、この愚直に尽きる。

 

美男子で学問があり風雅も心得た前夫多門に心を残していた咲弥と、蔵人は生きて会うことができるのか。自身の心と思える和歌を見つけ、彼女の思いを得ることができるのか。重厚な歴史物語を味わいつつ、一人の男の純情を心から応援してしまう。

 

特に心を揺さぶられた言葉を記しておく。蔵人が播州明石で出会った学者熊沢蕃山に言われた言葉だ。

「ひとは生きて何ほどのことができるか、わずかなことしかできはしない。山に木を一本植え、田の一枚も作るぐらいのことかもしれない。しかし、そのわずかなことをしっかりとやることが、大事なのです。ひとはなぜ死に、つぎつぎに生まれてくるのか。一人がわずかなことをやりとげ、さらに次の一人がそれに積み重ねていく。こうして、ひとは山をも動かしていく。ひとはおのれの天命に従う限り、永遠に生きるのです。そう思えば死は恐れるに足らず、生もまた然りです」

 

 

この作品は著者葉室麟さんの「いのちの三部作」と言われるものの最初の作品なのだそうだ。このあと『花や散るらん』が続き、最終巻の『影ぞ恋しき』は残念なことに遺作となってしまったが、完結しているようなので、ぜひ今後これらも読んでみたいと思う。葉室麟さん、私と同じ1951年生まれなのだから、まだまだたくさんの作品を書いていただけたはずなのに、残念でならない。

 

 

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