あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

古き良き日本を味わう『手もちの時間』青木玉著

ものを書く人、とりわけ厳しい姿勢で書く人たちのそばで育ち、自分は文を書くこととは縁が無いと思って暮らしていた玉さん。いつしかやっぱり書く人になってしまった。周りが放っておかないし、書けばたちまち芸術選奨などとってしまう。

 

これはその芸術選奨文部大臣賞(なんだか現在はずいぶん賞が軽くなってしまった感があるが)受賞作『小石川の家』から5年後に出版された随筆集。1990年代後半に、新聞に連載された文章や、様々な雑誌に掲載されたものを集めている。

 

内容は祖父露伴と母幸田文や、その周囲で編集や出版に携わった人々の思い出が多いが、玉さんの子供の頃の話など、昭和の初めの時代の空気が匂いたち、自分の知らないころなのに、なんとも懐かしく慕わしい気分になる。

 

「お菓子と子供」という話は玉さんがやっと記憶があるくらいのころの話だが、家に出入りする人たちとして、植木屋さん、畳屋さんなどの職人さんのほかに、御用聞きの魚屋さん、八百屋さん、酒屋さん、珍しいところで洗い張り屋さんなんてのも登場する。

 

そんな商売が成り立っていた時代があった。地方のいち下級公務員の家庭だった我が家にさえ、お米屋さんが注文取りに来ていたし、クリーニング屋さんも来ていた。酒の弱い父は晩酌をしなかったので酒屋の出入りはなかったが、神奈川の私の新婚家庭には、引っ越し早々酒屋さんが御用聞きの挨拶に来たのだった。その後急激にそうしたものが消えていったけれど。

 

話がそれてしまったが、「お菓子と子供」に伝通院のそばの紅谷(べにや)というお菓子屋さんが登場し、家でお客様をするときにはそこに電話をする。するとすぐに店から人が来て、黒塗りの下げ重に入った見本を見せて注文を取ったという話が紹介されている。

 

店から来る人は、小学校を出たばかりくらいの小僧さんをお供にした番頭さんで、この人たちの言葉遣いや物腰がまたなんとも好もしい。小さな小僧さんは、こうして番頭さんについて歩いて、マニュアルではない、生きた敬語や接客態度を覚えていったのだろう。いまや完全に失われてしまった文化だ。

 

まれに母幸田文の厳しい生き方にドキッとさせられるところもあるが、全体には日々の暮らしの風景を、きめ細やかな感性で切り取った読みやすい文章が多い。それでも、たかだか著者とは生まれ年で22年しか違わないのだけれど、現代ではまず見聞きしない言葉にたくさん出合った。優しくしなやかで感性鋭い、心地よい文章を楽しんだ。退職後の読書はほぼ小説に限定してきたが、著者を選んで、これからも時々は随筆を手にしてみようと思う。

 

 

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幸田家はみんな猫好き!