あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

年寄り笑うな・・・が思い当たる年齢に

子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃという言葉があるけれど、この後半がしみじみと胸に沁みるようになってきた。

 

かつて婚家にいたころ、乳がんの手術後何年かだった姑は、月に一回ほど舅の運転で弘前に出かけ受診していた。舅は毎日弘前にコーヒーを飲みに出かける人だったが、姑はめったに家を空けることはなかったので、この日は嫁の私にとって、貴重な、ほんの少しだけホッとできる日だった。

 

そうして、病院のあと二人で食料品などの買い物をして帰宅する。弘前まで車なら10分か15分のところなのだけれど、婚家は農村地帯で店らしい店もない。毎日リヤカー(!)を引いた魚屋さんが回って来るが、なにせリヤカーだから商品の種類も知れている。

 

そんな環境の中で、料理の苦手な私が食事の支度をするのだから大変だった。たまに弘前のスーパーで姑たちが買ってくる食材には期待も大きかったのだが、それが毎回ほとんど決まりきった物ばかりで、私はがっかりさせられたものだった。たまには田舎では買えない変わったものを買ってきてくれればいいのにと、不遜な嫁は不服だった。

 

近頃買い物に行くと、ときどき当時のことを思い出す。今の私はまさにあのころの姑たちと同じだ。毎度まいど同じものばかり買ってしまう。当時の二人はまだ五十代で、とても年寄りにくくっては申し訳ない年齢だったけれど、時代や地域差、また婚家が特別昔気質の家でもあったことを考え合わせると、今の私とちょうど同じくらいの年寄り加減ではないかと思われる。

 

 

夜中に放送される映画をよく録画するのだが、それを見る段になって、途中で観賞をやめて、録画を消してしまうことが増えた。以前はなかったことで、それだけ興味の幅が狭くなってきつつあるのだろうかと、近頃少々不安に思う。連続ドラマの途中離脱や、読書の中断も増えた。認知症の初期症状の、興味の減退だろうかと疑う。

 

コロナ禍で各種の予定がことごとく中止となり、この4か月ほど活動らしい活動がないが、もともと出不精で、手帳の予定欄が白いほど嬉しい私には、この状況が快適ですっかり慣れてしまった。それでも、緊急事態宣言の間はステイホームを強要されることが重苦しく、憂鬱な気分にもなったが、それもなくなり、私には大変心地よい状態だ。

 

いつかワクチンや治療薬が準備でき、普通のインフルエンザくらいの付き合い方に収束した時、果たして元の生活に戻れるのだろうかと心配になる。この何もしない状況に慣れてしまって、いろいろな物事が億劫になっているように思うのだ。三分の一年の引きこもり生活は、確実に私を数年分老け込ませたような気がする。

 

ちょうどその引きこもり期間と重なるように、この新しいブログを綴ってきた。毎日更新を誓って始めたわけではなかったが、一か月二か月となぜか毎日書く日が続き、近頃少々意識し始めている。自分自身の楽しみのために書いているのだから、義務感が生じては本末転倒で無理はすまいと思うけれど、このような時だったので、これがちょうど良い刺激になったかもしれないとも思う。

 

これでブログを書くこともやめてしまったら、認知症の坂を転がり落ちてしまうかも知れない。

 

 

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