あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

切ないお役目

私からmarcoさんへ、そしてマミーさんへとバトンが渡って、「どうぶつの森」に引きこもっていらしたマミーさんが、なんと2か月ぶりにブログを更新された。その中で、お気に入りの記事としてあげていらっしゃるのが、「そんなもん、なーい!」と言いながら、素晴らしいエントリーだった。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

なかでも、特にこの一節に私は心惹かれた。

「親というものは、いつの時代も切ないものです。

できることはどんどん少なくなっていくのに、子どもを思って心配する心だけは、決して小さくなっていかないのですから。」

 

「親」というものを一言で言うなら「切ない」ではないかとさえ思う(上の一節をブルーにしたのも涙の色だから)。でも、「順繰りだから、私を切なくさせる子供たちも、いずれまた味わうのだから・・・」と思って耐える。

 

だから、長男が「僕たちは子供を持たないことにした」と言った時には、自分が孫の顔を見られないという悲しさより、息子の父親ぶりを見られない残念さと、さらに、「えっ、なに?あなたはこの切なさを味わわないの?そんなのずるいよ!」という思いの方が大きかった。

 

結局30歳が近づいて、やっぱり持てるものなら子供を持ちたいと息子の連れ合い(嫁と言えば一文字だが、この言葉は時代を考慮し避ける)の気持ちが変化し、私は孫を授かった。でも、女親の方は子の成長の折々に寂しさを味わっているようだが、息子の方は成長を見る喜びだけで、切ないというような感情はないと言う。やはりこれは、妊娠が判明してからでも半年ほども自分の体内で育て、動きを感じ、まさに、「我が身を分けて」この世に送り出す、女親特有の感情なのかもしれない。

 

 

それにしても、子育てにこれほどの息苦しさを感じなければならない社会は、なんという不幸だろう。豊かさを目指してしゃにむに頑張ってきた果てが、傷つかないよう気を使い合って深入りを避け(今は物理的にもソーシャルディスタンスだ!)、生物としてつがいになることも、子孫を作ることもリスク要素だなんて・・・。

 

親というお役目は、たまらなく切ない思いをするけれども、でも、やっぱり、たまらなく楽しいことでもあるのだ。

 

 

f:id:yonnbaba:20200711142731j:plain

                                (PetSmilenewsさんのサイトより)