あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

静かな流れのように・・・『スウィート・ヒアアフター』よしもとばなな著

気付いた時、小夜は自分のお腹にぐさっと鉄の棒がささっているのを見て、自分は死ぬんだと思った。そうして、自分は死んでもいいから、どうか洋一がぶじでありますようにと願った。

 

遠距離恋愛をしている二人は、洋一の車でくらま温泉に行き、彼の住まい兼アトリエのある上賀茂に帰宅する途中、突っ込んできた居眠り運転の対向車をよけ損なっての事故だった。

 

洋一は鉄と木を組み合わせてオブジェを作る作家で、車にはいつも鉄の棒が積まれていた。小夜の腹に刺さったのはその鉄棒だったのだが、幸いにも刺さった場所がほんの少し致命的な箇所を外れていた。

 

夢なのか臨死体験なのか、天国に行った愛犬や大好きだったおじいちゃんと会ったりするが、小夜は一命をとりとめる。そうして洋一や自分の両親、彼の仕事仲間など、周囲の人の優しさやいたわりの中で、洋一を失った日々を生きる。

 

行きつけの沖縄バー「しりしり」で、小夜は事故の後遺症の幻覚なのか、幽霊の女性を見るようになる。また散歩の道すがら、近く取り壊しになるらしいボロボロのアパートを見つけ、その窓の一つにも女性の幽霊を見、その息子だという「あたる」と知り合う・・・。

 

大切な人を失ってからのもろく危なっかしい小夜の日々を、淡々と描く。静かできれいで、祈りのような日常。読んでいる間中、繊細でもない私の心がひくひくしていた。激しく泣きさけんだりしない小夜の姿が、かえって悲しみの深さを感じさせる。それでも、こんなふうにして、人は生きていける、いや、生きなきゃいけないと思わされる。

 

 

これはよしもとばななさんが、2011年の「大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたもの」(あとがきの言葉)なのだそうだ。どんなに書いても軽く思えて悩んだそうだが、結局「多くのいろんな人に納得してもらうようなでっかいことではなく、私は、私の小説でなぜか救われる、なぜか大丈夫になる、そういう数少ない読者に向けて、小さくしっかりと書くしかできない」と思い至られたそうだ。

 

著者の願い通り、「なぜかこれがぴったり来て、やっと少しのあいだ息ができたよ」という人は、きっと少なくないと思う。

 

『僕のいた時間』で強い印象を残した三浦春馬くん。なんとしてでも、生きて欲しかったよ。

 

 

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