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たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

動物もヒトも哀しい・・・でも面白い!『動物のぞき』幸田文著

先日の青木玉さんの本で、幸田家が動物好きだということを知り、この本に興味を持った。確かに、幸田さんの深い動物愛の伝わってくる本だった。ベタベタした愛情安売りの文章ではない。むしろからりとして適度な距離を保ち、冷静に書いているのだけれど、それ故いっそう著者の生き物に対する慈しみの心がくっきりする。同時に飼育員への深い尊敬の念も感じられ、幸田さんの観察者としての目の確かさを感じる。

 

対象は、おもに動物園で飼育されている動物たちである。まずは、人間が「お」の字をつけ、さらに「さん」までつけて親しみを感じている「猿」、類人猿から始まる。

 

オランウータン、ゴリラ、チンパンジー。彼らの逞しさゆえに、悪気がなくても人間にとっては危険と隣りあわせになりかねない飼育の大変さ。長い時間の果てに築かれた信頼から見せるなつっこさの魅力。ヒトに飼われ絆を持ってしまったがために見せる寂しさ。こうしたことを例を挙げて書きつつ、

「かわいく思うこととは酷(むご)いということと、じつに紙の裏表である。」

こういう鋭い考察を導く。

 

ある日、閉園間近に、ゴリラのビルが逃げ出した。いや、間違って檻から締め出されたと言った方が良いのか。幸いお客さんは、係り員がビルを散歩させているものと思って騒がなかった。それが幸いして、ビルも興奮状態になることもなく歩いていたのだが、係員が「ビル!」と呼びかけると、懐かしそうに嬉しそうにその人と手をつないで自分の住まいに戻ったという。

 

どうした弾みかで檻から出て、外へ歩き出したものの、知った顔はなし、頼りなくてつまらなく、うろうろしてしまったのだろう、と飼育員は言う。幸田さんはここまで聴いて、檻に長く飼われた動物の、外へ出てみたもののその行き所のなさを思いやって、そのあまりの淋しさに涙が出そうになったそうだ。

 

動物を観察することはまた、ヒトを観察することでもある。動物を書きながら、ヒトを書いている。初めの章の「類人猿」を読み終わって、私はしっかり幸田さんの文章につかまえられていた。

 

このあと、きりん、象、河馬と犀、熊・・・と十に章立てされた文章が続く。どの話もそれぞれ良いが、サーカスの動物について書いた「しこまれた動物」が哀れ深い。もとは昭和34年に『婦人画報』に連載されたもの。幸田さんの着物を思わせる美しい表紙の単行本は平成6年の発行だが、今は古本でなければ手に入らないようだ。黒白の動物の写真は土門拳さん。

 

 

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