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私の80年代と『春を恨んだりはしない』再び

いつも広く深い知識と教養で楽しませくださるセネシオさん(id:cenecio)のブログ。前回と今回と2回続きで、1980年代の激動のポーランドについてだった。

 

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こんなにポーランドが世界を揺るがせていたというのに、私の記憶は曖昧だ。ヨーロッパどころか、プラザ合意もバブルもどこの世界のこと?という感じだ。1980年代、私はコップの中の嵐に翻弄され、自分の周囲数十メートル、言葉の綾でなく物理的にそのあたりしか見えていなかったようだ。

 

「女が二人ぶらぶらしている家はない」と言われ、また現実的に夫は東京にいた時の収入の半分ほどになってしまったので、いくら専業主婦が理想だったとはいえ、子供たちを保育園に預け私も働かざるを得なくなった。

 

舅の口利きで手伝わせてもらっていた親戚の会社が、うち続く建築不況のあおりで倒産してしまい、それからいくつも面接を受け、私は職を転々とした。そうしているなかに公文から教室開設の説明会の案内が届き、とにかく話だけでも聞いてみようかと出かけたところ、試験・受講をへて開設の運びとなり、貸会場を見つけて教室を開いたのが1984年のことだ。

 

津軽に転居した時に始まった、言葉も分からず文化・習慣も違えば、没落したとはいえ気位だけは高い舅姑との、半世紀ほどもタイムスリップしたか(決して青森が、ではない。婚家だけ)と思うような質素な生活と20代目の長男の嫁の役割に、今度は仕事柄PTAや地域の役目も加わり、その頃台所のカレンダーはいつも予定でびっしりだった。

 

週2回の教室だけでなく毎日家でも宿題プリントをさせる公文式は、とにかく採点する教材の量が半端ではない。たいていの指導者はアシスタントを大勢使ってこなすが、一家6人の生活を支えなくてはならない私は最小限の人件費しかかけられないので、教室が終了した時点で山のように未採点のプリントが残る。あとは自分で寝る時間を削って採点するしかなく、夢の中でも採点や次の教材準備にうなされるような日々だった。

 

夫は代行車で帰ってくることもあれば、迎えに来るようにと電話が来ることもあり、そうなれば弘前の盛り場、鍛治町へと車を走らせたりもするというおまけつき。

 

以前ピンクレディが「最高に忙しかった時期は記憶がない」とテレビのインタビュー番組で語っているのを見たことがあるが、人間の記憶は眠っているときに定着するので、睡眠が少ないと記憶の定着がしっかりできないらしい。

 

ピンクレディの忙しさに比べれば私などまるで大したことはないだろうが、憧れた仕事で充実していた彼女たちと違い、私の場合は面倒な精神的悩みを伴っていた。もちろん、連れ合いが困った状態になったことには、配偶者たる私の力が足りなかったこともあるのだけれど。

 

とまあ、こんな状況で私の1980年代は最悪の状況で過ぎ、成人するまではと頑張っているうちに子供の人生まで歪めかねないと判断して、1990年に息子二人を連れて婚家を出、精神的悩みから解放された。このあとつかの間親子3人の忙しいけれど楽しい時期を過ごすが、長男の大学進学を機に故郷豊橋に戻ることにして、再び職を転々とする時代を迎える・・・。

 

そんなこんなで、実に我が身の回りのことばかりに明け暮れ、退職して毎日が日曜日となってやっと世の中を眺め考える余裕ができたところだ。2015年には安保法制に反対の姿勢を示すため、初めて街に出てサイレントスタンディングを経験し、今のいろいろな活動にもつながっている。

 

 セネシオさんが、シンボルスカの詩「眺めとの別れ」と池澤夏樹さんのことを書いていらっしゃる。私は2011年に池澤さんの『春を恨んだりはしない』を読んだのだけれど、このシンボルスカさんの詩のことは今回初めて知り、紹介しているサイトを探して素晴らしい詩の全文を味わった。

 

ブログ開設3か月目で、まだ星も一つも付いていない池澤さんの著書の当時の感想。

よろしければ・・・。

 

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せっかく田舎の広い屋敷になったので大きな犬を飼いたかったのだが、庭に稲荷様を祭っているため犬はだめと言われ、またそもそも生き物が苦手な姑は猫もとんでもないということで、かろうじて飼わせてもらったモルモット。