あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

ついに時代が彼らに追いついた『間宮兄弟』江國香織著

間宮兄弟なら、自粛生活が何か月に及ぼうとも、きっとビクともしないだろう。プロ野球は無観客でも、テレビでしか観戦しないのだから痛くも痒くもない。万が一プロ野球が開幕しなかったとしても、彼らには読書があり、DVD(小説内ではまだビデオだが)があり、ボードゲームもあればジグソーパズルもある。

 

兄の明信は35歳、弟徹信は32歳。生まれ育った家は母が実家に帰って母親を介護するため処分してしまったが、今はその生家にほど近いマンションに兄弟で住んでいる。だから2人は、ずっと同じ町に住み、人生の思い出のほぼすべてを共有している。

 

酒造メーカーに勤める兄は時々酩酊して帰宅するのに対し、小学校の学校職員をしている弟の徹信は、もっぱらコーヒー牛乳という点だけが大きな違いで、その他の趣味においてはほとんど共通している。

 

家に引き込もって暮らして退屈しないというだけではない。兄弟のリビングでは、エアコンが効いているのになぜか窓は網戸になっていて、吹き込む風に風鈴がチリンと鳴っているのだ!換気も十分。

 

兄弟ともに人付き合いが苦手だ。兄が職場で話ができる人は2人だけ。たまに酩酊して帰る時は、決まってその人たちに誘われた時だ。弟にはそうした存在もない。それぞれ形は違うが、女性に関してはつらい思い出しかない。

 

それでも兄を心配して、職場の女性教師やいつも行くレンタルビデオ店のバイトの女性を誘って、間宮家でカレーパーティーをしようと弟は計画する。意外にも彼女たちは間宮家にやって来て、なぜか居心地の良さを感じるのだった・・・。

 

 

何年か前に、映像化されたものを見たので、読んでいるとどうしても脳内で蔵之介さんと塚地さんが動き、しゃべっていた。映画もほのぼのした余韻が残る良い作品だったが、原作もとても良かった。雲の上から淡々と眺めているような、誰に肩入れするでもない素直な語り口が、この善人としか言いようのない兄弟にピッタリで、物語の性格にとてもマッチしている。

 

いく昔か前ならおよそ「男らしくない」と決めつけられそうな間宮兄弟だけれど、現代の時代状況の中で見れば、かなり違ってくる。それでもやはり世は、女性は若さ、男性は「イケメン」に価値を置いているので、やっぱり間宮兄弟は「トレンド」ではありえないだろう。

 

でも、世間の評価がどうだろうと、他者から見た充実感がどうであろうと、間宮兄弟のように暮らせたら、人生は楽しいと言えるのではないだろうか。酒造メーカー勤めの明信も、数少ない友人と飲む(ナイターのない月曜日)日以外は、毎日きっちり定時で帰宅できているし、とりわけ弟の徹信が、たくさんの資格試験や講習を経てついたらしい学校職員という仕事をしているようすは、自分に合った仕事に出会えた幸せを感じさせる。

 

性格やコミュニケーション能力にいくらか問題があっても、自分に合った職場と理解してくれる相手に恵まれた間宮兄弟は幸せだ。だれもがこのように恵まれた職場を選べればいいけれど、実際にはめったにそういうことはないし、人間のする仕事がどんどん減っていく今後は特に難しい。

 

経済面はその気になればベーシックインカムなどの制度でカバーできるが、少子化・非婚化の進む現代、社会として心の平安をどう担保するのかというのは、非常に難しい問題のような気がする。

 

 

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