あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

空しい・虚しい・むなしい

自由民主党(なんと空々しい名称であることか)の次期総裁は、菅義偉官房長官が最有力だという。これで安倍路線がそのまま継承されることは明々白々だ。それでなくても、もうすでに安倍首相の行ったもろもろの不正は、世間から忘れ去られようとしているような気がする。

 

この国の多くの人々は、どうなってしまったのだろう。毎日まいにちテレビ画面で見る人の顔と名前しか、覚えられなくなってしまったのだろうか。いつの間にか、日々繰り返される言葉や出来事以外は、消去してしまうシステムでも脳内に組み込まれたのだろうか。

 

決まりを守って正直に生きているのがバカバカしくなる気分だ。だからと言って、ズルをしたり法を犯したりすることもやっぱりできない。

 

ネットもテレビも遮断すれば、こんな世の中を知らずに生きていけるだろうか。

 

それで、自分は日々充実して暮らせるのだろうか。楽しさを見い出せるのだろうか・・・。

 

 

大人たちの本音と建前を知り、この世は矛盾に満ちていると気づいた思春期。世界は東西冷戦の真っ最中で、ベトナム戦争の只中でもあり、日本社会にはまだ敗戦で国家に辛酸をなめさせられた大人がたくさんいて、マスコミの論調は政治を批判する傾向が強かった。

 

やがて戦争を知らない世代が台頭し、人々は物質的豊かさに溺れて、マスコミは、「楽しくなければテレビじゃない」などというスローガンを掲げるテレビ局が隆盛を極めるようになり、硬派と思っていた朝日新聞が、珊瑚に関する記事でマッチポンプを演じて信頼を裏切り、徐々に社会の公器としての存在感を弱めていった。

 

そして小泉政権時代の到来だ。劇場型の政治に人々は熱狂し、自民党の旧来の秩序は壊れ、マスコミが妙に首相を持ち上げる扱いが始まった。政治家たちはもちろん、マスコミ人も首相に対して、皇室報道であるかのような敬語使用になった(と私は記憶している)。

 

その後目まぐるしい首相交替期や、人々の大きな期待を背負いながら、大震災と原発事故という重大危機に襲われた不幸な短い民主党政権の時期を経て、第二次安倍政権が誕生し、日本の政治の腐敗と、マスコミの凋落は極に達した。

 

・・・と思ったのだけれど、まだどん底ですらないのかも知れない。これから菅政権が生まれ、官邸や〇通に仕切られるマスコミが続くのであれば。

 

かつて凶悪事件が連続した時期に、新聞もテレビもない山の中で、静かな自給自足の生活に逃げ込みたいと願ったことがあった。まだ子育て中だったし、第一それができるだけの体力もなく、とうてい実現は不可能だったが、今また、できることなら現実から逃げ出したくなっている。

 

来年までに総選挙があるけれど、この状況下で、私たちは戦えるのだろうか。2015年に安倍政権の横暴なやり方に耐えられず活動を始めた時、「相手が強大であるほど闘志が燃えるの」などと”言い出しっぺ”に豪語してしまった私だけれど、5年間闘ってきても深まるのは虚しさばかりで、自慢の闘志の炎は情けなくも消えかかってきた。

 

 

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もうバッタリ!