あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

コロナ社会の集会に思ったこと

豊橋市教育委員会、民生委員児童委員協議会などが主催した「青少年健全育成のつどい」に動員で参加。先月の民生委員の会議の時に参加者を募ったのだけれど手を挙げる人がなく、祝日だから家族のいる人はなるべく出たくないだろうと思い引き受けた。するとパタパタと2人の人が続いてくれて、めでたく参加者が決まった。

 

その2人のうちの1人の方が車を出してくれて、豊橋港に近いライフポートという当市では一番収容者数の多い会場に向かった。今年は主だった催しがほとんど中止になったので、この会場に来るのは今年初めて。今回の催しはいつもは市中心部にあるもう少し小さな会場でするところ、ディスタンス確保のため今年はここになったらしい。

 

入り口に手指の消毒液。そしてセンサーカメラによる体温測定をして受付へ。ここで今日のパンフレットをもらうのだけれど、いつもなら大型封筒に入っている書類が、今日はなぜか布製の手提げ袋入りだった。紙の封筒より安いとは思えないけれどなぜだろう。かえって処分に困惑するだけだ。

 

f:id:yonnbaba:20201103171942j:plain

愛知県とも豊橋市とも入っていない。全国で使えるようにということだろうか。どこが製造し、どういう経緯でこれを使用することになったのだろう。べつに紙の封筒すら省略して、チラシのみの手渡しでも構わない、いやむしろ貰う方はその方がごみが減って嬉しいのだけれど。我が家にはA4サイズの封筒が、再利用もしきれず大量にたまっている(学校など返せるところには返却もしている)。

 

前半のボーイスカウトなどで頑張っている子供たちの表彰はいいとしても、後半の講演は内容が少々物足りなくて、時計の進み方が非常に遅く感じて辛かった。何十年も前から思っていることだが、何かというと催し物に講演をセットするのも考えて欲しいものだ。情報の少なかった昔なら、こうした講演会が貴重な機会でありがたかったのかも知れないけれど、世の中は変わり、価値あるものも変わる。