あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

男性版おらおらでひとり・・・『オジいサン』京極夏彦著

60歳で会社を定年退職した益子徳一の、72歳と6箇月の1日目から、72歳と6箇月と7日までの7日間を描いた物語である。その7日間に、別段変わったこと素晴らしいことがあったわけではない。どこにもいそうな年寄りの、どうということもないような毎日の中での、徳一の脳内のつぶやきを追いかける物語だ。

 

時として少々イラッとしたりしながらも、これがすこぶる面白いのだ。おそらくさだめし謹厳実直なサラリーマン人生だったであろうと思われる徳一氏は、現在只今も実に実直な老人である。近年そこここに見るような、若ぶってみたりちょい悪ぶってみたりする老人ではないのだ。そのため、いや、私はここまで年寄りくさくはないぞと思う部分もあったりはするが、それでも、時々「高齢者あるある」に思わずぷっと吹き出したりしてしまう。

 

徳一の実直さが一番よく表れているエピソードは、石川さゆりのカセットテープだ。去年喉頭癌で死んだ同期の桜井がくれたカセットテープ。あまり演歌を聴かない徳一はそのテープを捨てようと思うのだが、それが燃えるゴミなのか燃えないゴミなのか、はたまた分解して素材ごとに分けるべきなのかと悩む。ドラーバーを取り出して分解を試みるも、カセットテープに合うような小さなドライバーは所有しておらず、ネジの溝を潰してしまい分解を断念。ずっと捨てられずにいる。

 

このように真面目な徳一だが、いや、かような真面目さがかえって邪魔をしたのかも知れないが、この歳まで独身、したがって子も孫もいない。けれども本人は自分の人生に至極満足し、現在も特段の不満も不便も覚えず暮らしている。

 

値段だけで言えばスーパーの方が安いが、徳一は昔から電気製品はもちろん、電球や電池まで近所の電気屋で購入してきた。長年の付き合いのその電気屋の二代目が、近頃「じでじ」とかいうテレビをしきりに勧めに来る。もうすぐ先代のおやじから買った今のテレビは映らなくなるなどと信じられないことを言う。充分映っているテレビを日本中で廃棄して「じでじ」とやらに替えるなんて、そんなもったいないことを政治がするとは徳一には信じがたい・・・。

 

現首相は71歳。徳一と同年代である。苦労人だたたき上げだというふれこみだけれど、この善良な徳一のつつましく愚直な生活が視野に入っているだろうか。想像ができるだろうか。さらに徳一までもいかない、仕事に恵まれなかったためろくな年金も貰えないで、生きているほうがつらいとさえ思っているような人が、この国のこの時間に生きているということが、分かっているだろうか。

 

テーブルを拭いた布巾を濯いで絞り干しながら徳一は考える。

急ぐことはない。同時に幾つかのことをやったり、端折ったりして時間を節約するのは間違っている。時間に対して己を激しくしたり折り畳んだり震わせたりしているだけだ。とどのつまり自分を消耗させるだけである。そんな代償を払ったところで、現実の時間が伸びる訳ではない。効率効率と言うけれど、所詮個人が磨り減っているだけのことである。

 

と、短気な私にはかたつむりのごとく感じることもある徳一の思考だが、なかなかに鋭いのである。

 

 

京極さんもこんな作品を書かれるお年になられたのかと思ったが、この作品を書いた時、著者の京極氏は四十代だった。なぜこれほどみごとに老人の実態や心理描写に迫ることができたのだろうと驚く。一目ぼれした相手と結婚し、子も孫もいたヒロインとは境遇は違うけれども、これは男性版『おらおらでひとりいぐも』のようだ。

 

 

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凝ったページ表示が京極さんの本らしい。時計は1ページごとに時刻が違う。