先日marcoさん(id:garadanikki)が、BBCのドラマ『テス』について書いていらっしゃる中で、テスの夫になるエンジェル・クレアがどうも女性にモテモテの役にはふさわしくないようだと仰っていた。
それで、はるか昔、日本でアラン・ドロンが大人気だったころ、フランス本国ではジャン・ポール・ベルモンドの方が人気が高く、なぜ日本女性はドロンの方を好むのか不思議がられているという話を聞いたことを思い出し、コメントさせていただいた。
そのあと、さらに思い出したのは、『風と共に去りぬ』でスカーレットが恋い焦がれるアシュレイを演じたレスリー・ハワードだ。自分が原作を読んでイメージしていたのとはあまりに違い、スカーレットが彼に執着する気持ちが理解できなかった(それに比べてバトラー船長を演じたクラーク・ゲーブルの男っぷりと来たら!)。
納得いかなかったと言えばさらに、リメイク版の『サブリナ』で、ヒロインのサブリナが恋するララビー家の次男デイビッドを演じたグレッグ・キニアだ。そんなにハンサムとも思えず、おまけに背も低くてどうも納得がいかなかった。
そういえば、日本ではラブシーンで男優の背が低いと、昔は踏み台で足元を高くして撮影したなどという話もあるくらい、美男子は長身であることも必須だけれど、欧米ではあまりそのあたりも気にしていないように思う。
どうも、国によって美男子の基準が違うらしい。文化や時代によっても違うのだろう。同じ日本でも、平安時代の美男美女の基準が現代と随分違うように。
こんなふうに美男だ美女だと語ることはルッキズムであって、けしからんことなのかもしれないので、今日のエントリーは内緒話。そして本日は俳優諸氏は敬称略で失礼。
なお、美人の基準の違いについてはあまり意識したことがないが、私自身はこれについては、顔だけでなく、声から話し方、さらに歌を詠む能力に衣服やお香のセンスまで問う平安時代の基準を支持したい。と言っても、これは貴族階級の基準で、下々には縁が無いことだろうけれど。
グレッグ・キニア(画像はeiga.comより)