あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

なにということもなけれども・・・

昨日は終日パソコンで終わってしまったような気分だった。パソコンが不調になると、いつもこういう状態になる。機械が人のために働いているのか、人が機械に操られているのか分からなくなるのはこんな時だ。22年前には確かに私もパソコンなしで暮らしていたのだけれど、悔しいがやはりもうこれなしではやっていけない。少しネットで下調べをして、まずは、来週私の行ける電器店に行ってみよう。

 

友人と一緒だった一昨日、また得意のうかつなおしゃべりをしてしまい、いつまでも自分のその愚かな言葉にとらわれている。いったん口から出した言葉は、決して戻すことはできない。消し去るすべもない。特段誰かを誹謗したり傷つけたりすることではないが、おのれの過信がこぼれた感じで、聞いた側は不快だったろうと悔やまれる。今後は益々この軽率な口に注意しなければと思うばかりだが、子供の頃から、いったい何度苦い思いを味わえばこの失敗を終わらせることができるのやら・・・。

 

新型コロナウイルスの感染拡大から、相も変わらない政治の無策、権力者の不正に対するぬるい国会の動きやピリッとしない司法、ネットの海やらテレビの向こうの茶の間にひしめく無責任で考えのない大衆などなど、悔いる自分の愚かさの他にも気の塞ぐことは限りがなくて、うつうつとした気分は、会食が憚られる折りから気の合う友人と会うこともできず、なかなか解消されることがない。

 

金曜日のエントリーでSPYBOYさん(id:SPYBOY)が書いていらした、「早く定年になって引退、家で一日ごろごろしながらネットフリックスでも見て暮らしたいなー」という念願の生活を、ありがたいことに私は今満喫できている。さんざん好きなように生き、仕事も転々として来たというのに、贅沢さえ言わなければお金の心配もなく・・・。

 

コロナ禍で廃業を余儀なくされている方、失業した方もたくさんいて、医療や介護を始めさまざまな普段以上に厳しい労働環境に置かれている方々を思うと、このありがたい境遇に感謝し、同時に無力な自分に歯がゆい思いもする。

 

それなのに、せっかくこうした世の中のために行使できる大きな力を持つ人たちが、申し合せたように自己保身的で情けない言動しかしない。先日のメルケル首相の素晴らしい演説を見るにつけても、このような残念な政治家ばかり選んできてしまった私たちは、当然の結果を受けるしかないのだなと暗澹たる気持ちになる。

 

50年近く、今の政権与党には一度たりとも投票したことはないのだけれど、この運命に巻き込まれることに抗うすべがない。現在のこの国に同じような思いの人は相当数いるはずで、ぜひ、野党はこの庶民の思いをうまくすくい取る工夫や努力をして欲しい。

 

 

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金曜日にお歳暮の手配に行った老舗(明治7年創業)の佃煮屋さん。いつも通りに駅ビルでお願いしようと思っていたのだが、駅ビル店は撤退してしまっていた。市役所から路面電車で駅まで行ったのに、電車で通過したところを、また歩いて半分ほども戻って本店に行くことになった。駅ビルの出店をやめるとは、豊橋では指折りの老舗店も大変なのだろうかと案じてしまう。