あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

津軽の恵みと友との語らい

先月に続いて、また青森の友人からリンゴやお米が届いた。今度の友人は公文の指導者仲間。隣町で教室をしていて年齢も近く、青森市での講習の時にはいつも一緒に車で行った(今思うと我ながら信じられない気がするが、高速道を使って私の車で行った)仲だった。

 

お礼の電話をすると、おしゃべり好きな彼女はいつも自分の教室の様子やほかの先生方のことから3人のお子さんたちのことなど、1年分とばかりに話すのだけれど、今年はさすがにそうした話も弾まず、コロナの話になった。

 

考えてみれば公文の教室はかなり密な場所だ。緊急事態宣言が出ていた時は家での宿題プリントの受け渡しのみで教室を休んだそうで、そうするとやはりやめる生徒も出てくる。かなり生徒数を減らした教室もあり、持続化給付金を申請した指導者もいるそうだ。

 

友人は自宅で教室を開いているし、お連れ合いと家業の農業もしているので余裕があるのだろうが、会場を借りてしている人は、アシスタントの給与の他に会場費も払わなくてはならない。私はその口だったし、しかもそれのみで生計を立てていたのだから、さぞ大変な事態になっていたことだろう。

 

 

人生は選択の連続で、選んで選んでいった先にどんな未来が開けるか分からない。長男の大学進学時、仕送りをしても暮らしていけるくらいの生徒はいたので、先の心配をしなければそのまま青森に留まるという選択もありえた。意外に小心な私は先の保証のない自営業に疲れ、思い切って故郷に戻って長男に自宅通学させるという選択をした。

 

そのせいで心機一転の生活は職探しからとなり、収入も減って大変な時期もあったけれど、結果的には61歳で仕事を辞め、思っていたよりもはるかに早く毎日が日曜日の呑気な生活を始めるという人生になった。あのまま青森にいて教室を続けていたら、自営業で国民年金なのだし、元気な間は仕事を続けざるを得ず、今このコロナ禍に遭遇して苦しんでいたかもしれない。

 

今にも雪が舞いそうな空模様だ。きっと津軽は雪化粧だろう。

 

 

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大きい袋はうるち米、小さいのはもち米。