あとは野となれ山となれ

こどもや動物、みんなが安心して暮らせる世界でありますように・・・

諦めて自分の殻にこもるか、なお闘い続けるのか

昨夜久々に”言い出しっぺ”から電話があり、1時間以上も話し込んでしまった。

 

”言い出しっぺ”はたびたび私のブログに登場しているが、2015年の6月に、安保法制に危機感を覚えてただ一人で毎日豊橋駅前に立ち、サイレントスタンディングを始めた人である。私は翌月の7月から加わったが、その頃仲間は十人以上に増えていた。多い日には20人を超える日もあったように思う。

 

長い自民党政治の中でもとりわけ劣化著しい政治状況で、当然私たちの活動に賛同する人はどんどん増えて、話題にもなり、もしかしたらムーブメントにもなるのではないかと張り切っていたが、初めの頃こそ順調に仲間が増えたが、安保法が力で押し切られ、共謀罪も成立と、巨大なブルドーザーで蹴散らされるようなことの繰り返し、おまけに頼みの野党は四分五裂。

 

毎日のスタンディングが週に3回、2回と減り、今は一部の仲間が土曜日のみ行っているが、私も”言い出しっぺ”も参加することはほとんどなくなった。それは、この方法では、若い人や今まで社会活動にかかわったことのない人たちの共感を呼ぶことはできないと感じたからだ。

 

なんとか新しい層に政治に関心を持ってもらおうと、直接的なスタンディングという方法でなく、ハロウィンの仮装パレードだの、サンタ姿でプラカを持って電車に乗るだの、アート展だの平和の葉書だのと、さまざまなイベントを工夫して行ってきた。

 

でも、このところさすがの”言い出しっぺ”も無力感に負けそうになっており、相手が大きいほど燃えるなどと言っていた私も闘志は萎え、もう落ちるところまで落ちないと、人々は目覚めもしなければ、自ら動き出すこともしないのではないかと思うようになっている。

 

なのに、やっぱり何もせずにいる自分を許せなくて、時々何か次の有効な一手はないかとLINEでやりとりしたり、電話でぼやき合ったりしてしまう。お互い自分の周囲何メートルかの狭い世界にいる限り平和なのだけれど、先日の前首相の会見を見るにつけても、こんなことで許されてしまう社会にしてしまっていいのかと、居ても立ってもいられない気持になってしまう。

 

 

「義を見てせざるは勇無きなり」とか「卑怯」という言葉が、昨今あまり聞かれなくなったように思う。学問も自分の人生を有利に進めるためであり、大勢で一人をいじめても周囲は知らんふり。そしてどんな手を使おうが、結果、勝てばよい。

 

コロナ禍であえぐ人々がいても平然と高級料亭で会食し、とりまきの利益になる政策ばかり推進し、明らかな公選法違反をしても秘書のせい。どんな手を使おうが、当選すれば、偉くなれば・・・結果が全て。上に立つものが最悪のお手本を示すのだから、良き言葉も消えゆくわけだと思う。

 

もうあの会見以上の醜悪なものを見たくない。これを今年の嘆き納めにしたいものだ。

 

 

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2016年元旦のスタンディング。勝利を信じる顔、顔、顔。