あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

浅田次郎著『夕映え天使』から『切符』

久しぶりの浅田次郎さんの作品。六つの短編集で、どれも安定の内容だけれど、特に『切符』が心に残った。

 

両親が離婚し、広志は生まれ育った駒沢を離れ、恵比寿に住む父方の祖父に引き取られて二人暮らしをしている。父親は再婚し、母親も今度新しい男と所帯を持つから広志を引き取ると言ってきたが、祖父はそれでは跡取りがいなくなると断り、男手一つで育てている。

 

祖父は腕の良い大工だったが、兵隊としていった「ヒリッピン」のレイテ島に「片足を置いてきちまった」ために足場に上れなくなり、今は2階の一間を若い夫婦もの(のちに本当の夫婦ではなかったと分かるが)に間貸ししながら、建具屋をしている。

 

その間借り人の美しくて優しい八千代さんを広志は慕っている。そして、静まり返って生活の臭いのなかった駒沢よりも、雑多な生活の営みに彩られる恵比寿の町が広志は好きである。

 

八千代さんと銭湯に行って同級生の千香子に会い、女湯に入っていたことをクラスのみんなに言いふらされたらどうしようと悩む年頃の広志の生活が綴られる。時は折しも、前回の東京オリンピックが開催される年で、巷はその騒ぎで沸き返っている。

 

広志もオリンピックをテレビで見たいのだが、祖父はオリンピックに関心がなく、テレビもいらないと取り合ってくれない。

 

大人たちの情報にさとい千香子が、広志の祖父が「シマツヤ」と呼ばれているということを教える。シマツヤというのがどんなことを言うのか分からない広志だが、どうやら祖父は同じ部隊で戦死した兵隊の遺族を調べ、香典と線香をあげて回っているらしい。

 

 

昭和39年の東京オリンピックの年、私は中学1年生だった。オリンピックを目指して日本中が大工事で厚化粧を施し、新幹線が走り出し、世間はもうすっかり戦争などはるか遠いかなたのような雰囲気だった記憶があるが、改めて考えてみれば、敗戦からたった19年しか経っていなかったのだ。広志の祖父のように、戦地で大変な目にあった人たちが、社会でバリバリに働いていたはずなのだ。

 

それなのに、「オリンピック、オリンピック!」の騒ぎで、広志の祖父のような人はきっと、いつまで辛気臭い時代を引きずっているのだと疎まれたことだろう。片足を失って人生を狂わされた自分より、戦地に散った仲間を惜しみ浮かれる世間を苦々しく眺める祖父の目が感じられた。

 

大人の世界の複雑さに目覚め始める少年のせつない日常と、戦争の記憶を振り捨ててオリンピックの熱狂に突っ込んでいく時代を、非常にうまく掬い取っている一編だった。

 

 

昔からこの国は、こんな風に都合の悪いことから人々の目をそらさせて、ひたすら政治家や高級官僚や大企業の利益を追求してきたのかもしれない。主権者であるはずの民衆が、政治や自分たちの権利に無頓着なのだから、当然の帰結であるのかもしれない。

 

著者浅田次郎さんはここまでのことを狙って書いたのではないかもしれないが、ちょうど二度目の東京オリンピックとコロナ禍の混乱のさなかに読むという体験で、こんなことまで思いをはせてしまった。

 

 

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この「切符」のほかに、

夕映え天使

特別な一日

琥珀

丘の上の白い家

樹海の人        の、変化に富んだ作品群を収録。