あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

別れた人からの贈り物は捨てる派?

明日は天皇誕生日、じゃなくてみどりの日、じゃなくて昭和の日。ゴールデンウィークの幕開けだが、昨年同様コロナ禍真っ最中ゆえ、報道も遊べ遊べと煽ることもできず複雑そうな世の中だ。が、私は相変わらずの365連休中の1日に過ぎない。

 

10本ほど出ているアマリリスの花が、おとといあたりから開き始めた。この花もやはり今年は少し早い。白の花が出てくれると嬉しいのだけれど、赤の方の勢いがあまりに良いので、白が消えてしまわないか心配だ。

 

ところで、世の中の多くの人は、別れた人から贈られた物は捨ててしまうのだろうか。私は、気に入っていなかった物は、持ち続ける義理もなくなったことだから処分してしまうが、気に入っている物なら「物に罪はないのだし・・・」と、手元に残して平気な性分だ。

 

息子たちの父親である元夫にもらった服やアクセサリーは、まだいくつも残っている。そうした中で、気に入っていて手放しがたかった服を、ついに処分することにした。

 

30年ほどの間に2、3回しか着ていなくて新品同様だが、いかんせん、さすがに肩のラインに時代を感じるようになった。肩パッドが後付けの物なら外せば何とかなるかもしれないが、きちんと裏地の中に仕立てられいるうえ、やはり今の物とは微妙に袖付け位置が違う。

 

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        着る機会がほとんどなかったため写真もなく、記念のためここに掲載

 ホテルの中にテナントで入っていたブティックの、とても自分では買えない高価な製品。地紋の光沢のある生地にウエストのたっぷりした幅のサッシュが華やかで、気に入ってはいたがあまり着る機会がなかった。特に豊橋に戻ってからは、高校生と大学生の息子たちはあまり私に経済的負担はかけなかったものの、私はゼロからの就職で、食べさせるだけで精一杯、ちょっとドレスアップして食事に行くなどという機会も持てなかった。

 

元夫は服にしろアクセサリーにしろ選ぶセンスは結構良かったが、手元にお金があればあるだけ、なければサラ金にも手を出してしまい、後のやりくりは私任せなので単純に喜んではいられなかった。実質的には自分で買ったようなものか。でも、このワンピースは別れた後だったので、純粋に「もらった」と言える。

 

青森時代の友人には、私と同じように夫で苦しんだ人が2人いて、みな申し合わせたように周囲からは旧家と言われる家の長男で、彼女たちは「大事な家の後とりだからとちやほやされて育った男は、ちょっと人生が自分の思うようにならなくなるとヘたっちゃうのよ」と同じことを言った。

 

その彼女たち、ともにはやばやと天国に召されてしまった。私だけがいまだに生き残っているのは、やはり神経が図太いからだろうか。

 

 

個人的な懐旧譚を綴ってしまったけれど、わっとさん(id:watto)ではないけれど、そもそも何という得意ジャンルもなく、自分の趣味と備忘のためのブログなのでご容赦願います。