あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

芸能・文化の力に酔う『仏果を得ず』三浦しおん著

高校時代、健(たける)は教師たちには「グレている」「要注意の生徒」と見られていた。その高校の修学旅行で、狭い国立文楽劇場の座席に縛り付けられるようにして鑑賞することになった文楽。前夜も大阪のホテルを抜けだし、仲間と遅くまで道頓堀界隈をぶらついていた健は、幕が開く前から熟睡した。心地よく眠りに身を委ねていた彼は、突然だれかに石をぶつけられたように感じて目を開ける。

 

やがてそれが石ではなく、舞台の人間国宝笹本銀大夫の語りであることに気付き、話の筋もわからぬまま健は引きこまれ、しまいには石つぶてではなく、きらきらと光る星の欠片を全身に浴びている心持になってしまう。

 

こうして銀大夫の元に弟子入りした健大夫の物語が始まる。

 

扱っている題材の渋さに似ずカバーの絵は漫画のようであるが、扉には少し厚手の紙の定式幕が畳み込まれているという凝った装丁になっている。

 

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上の写真でもわかるように、8つの章のタイトルはすべて文楽の演目になっている。気楽に楽しく読みながら、自然に文楽や演目の内容について理解を深めていくことができる。

 

健の周辺の人物が非常に魅力的だ。まず、師匠笹本銀大夫は80歳の人間国宝でありながら、いまだ枯れることを知らず、銀座から応援に飛んでくる若い女性アケミちゃんに鼻の下を伸ばしている。そして師匠から今後相方として組むように言われた三味線の兎一郎は、三味線の腕はいいがろくに口もきかない変人だ。しかし彼がそうなったのは、なにか過去に原因があるかららしい。

 

健は近くの小学校に文楽を教えに行っているのだが、3年生のミラちゃんは文楽への愛も深いが、「健先生好き!」とぐんぐん迫ってくるおませさん。その母岡田真智さんはキリっとした美人で、文楽修行に入ってから初めて、健は女性で心を乱されるようになる。

 

周辺の人物はなかなか濃いのだが、主人公の健は文楽に入れ込んでいるという以外は思いのほか軽くて薄い今どきの若者だ。高校時代「不良」とされていたことなどと考え合わせると、文楽に出合わなかった彼の人生がどんなものになるか想像できるような気がする。そう考えるとき、何であれ、夢中になれるものを見つけた人の幸せをつくづく思う。たとえ才能が伴わず、回り道に終わったとしても。

 

この物語を読むまで、文楽と言えばまず人形が浮かび、人形遣いの人々の苦労や努力は思ったことがあったが、三味線や語りのことを考えたことはなかった。これほどまで、物語の登場人物の心理を追求し、深く考えたうえで演じているとは思いもしなかった。

 

先日読んだ『芝浜謎噺』の落語もそうだったが、古典芸能の世界の奥深さに改めて感心する。そうして、こういうものをただ経済や効率の面からだけの価値観で切り捨ててしまう、橋下氏をはじめとする維新政治の貧しさに憤りを新たにした。

 

 

 

『消滅』より先にこちらを読み終えていたのだが、昨夜、一気読みの末興奮冷めやらぬうちにエントリーを仕上げてしまい、こちらが後になった。