あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

私の、あなたの、物語かも知れない『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』辻村深月著

幼馴染の二人の女性の物語。一人はおとなしく引っ込み思案な望月チエミ。もう一人はなんとなく周りとの違いを感じている神宮司みずほ。みずほは神経質で教育熱心な母親のもとで育ち、子供の頃、家が近くて仲良しだったチエミの家庭が親子非常に仲が良く、とりわけ母親が太陽のようにおおらかなことが羨ましかった。

 

そんな二人も中学校に進むと少しずつ距離ができていき、高校は市外の進学校と地元の高校と別れ、交流もなくなっていく。みずほは東京の大学に進むが、やがて地元の山梨に戻り、二十代前半の時期に再び共通の友人の主催する婚活パーティーでたびたび顔を合わせるようになる。

 

断れずに婚活に参加するが、みずほは地元から出たことのない女の子たちや、そこに集まってくる男たちにも興味はない。それでもなんとか二十代のうちに結婚したいとは思っていて、29歳のとき大企業に勤める兄の紹介で後輩である梁川啓太と結ばれ、再び東京暮らしとなり、30歳の現在は週刊誌を中心としたフリーのライターをしている。

 

みずほが、結婚式に呼ばなかったため気まずくさえなっている故郷の女友達らと会う決心をするのは、チエミの起こした信じられない事件のためだった。彼女の母親が包丁で刺し殺され、家の預金通帳やカードとともにチエミが姿を消したというのだ。

 

事件から5か月たっても依然チエミは行方不明。彼女を探そうとみずほは親しかった友人たちやチエミの恩師の元を訪ね歩く・・・。

 

こうして望月チエミという女性について複数の人の口から語られるのだが、その中で、一人の人間やその家庭も視点によって見え方がさまざまであることや、嫌でも「外の世界」から「勝ち組」とか「負け組」とラベルを貼られてしまう女性たちの、女同士の駆け引きや計算が浮かび上がってくる。

 

同時に、愛情深いと思われたチエミの母親にも意外な面が見えて、ぎくしゃくとしたみずほ母娘だけではない、女親と娘の関係のやっかいさも深く考えさせられる。

 

そして、幼馴染の事件にかかわる前からみずほが取り組んでいた、育てられない子を託す「赤ちゃんポスト」の問題が、思いがけなくチエミの事件にも絡んできて、緊迫さを増していく。

 

女の世界の付き合いのやっかいさや毒親問題に、共感する女性は少なくないことだろう。みずほが、受精してもその卵を育てにくい体質で、啓太との間に授かった子を失った痛みも彼女の心から離れず、女性として生きていく難しさを思う。

 

私自身は、まだまだ家庭か仕事か二者択一しか考えられない時代に、迷わず「素敵なお母さん」(「良い妻」じゃなかったことは問題だ)になることを選んで早い時期に突っ走り、結果的にあまりこの作品に取り上げられているような問題に悩まず生きてきてしまった。代わりに、考えなければならないもっと別な問題が出現してしまったからかもしれないけれど。

 

 

物語の最後の最後に不思議なタイトルの意味が分かり、それが読後感をより深いものにする。個人の意思に関係なく、複雑化してしまった現代。生きものとして、シンプルに生きることができなくなってしまった。より高度な幸せも手に入れたのかもしれないが、なんだか無駄に生きにくくしているような気もする。

 

読んだ後、周りの人にちょっとだけ優しくなろうという気持ちにもさせられる。

 

 

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いっぱい咲いてくれた白いアマリリス。プラスチックの鉢に入った1個の球根をもらったのは25年くらい昔。