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60年たっても何ら学べない人の存在を思う『グリーンブック』

ネットフリックスで2019年日本公開の映画『グリーンブック』を視聴した。

 

1962年、天才黒人ピアニストドクター・シャーリーは、粗野なイタリア系の男ニック・ヴァレロンガを運転手兼用心棒として雇い、アフリカ系アメリカ人旅行者用の旅のガイドブック<グリーンブック>を頼りに、あえて差別の色濃い南部でのコンサート・ツアーに向かう。

 

ニックは、家の修理に来た黒人の職人に、愛する妻が彼らを労うために出した飲み物のグラスが台所に置かれているのを見て、ゴミ箱に捨ててしまうような男だ。シャーリーの運転手採用の面接に行くよう言われて出かけたものの、それが医者でもなく、豪勢な暮らしをする黒人であったため、彼を雇いたいと言うシャーリーに対しにべもなく断って帰ってきてしまう。

 

けれども、働いていたナイトクラブが改装工事のため休業し失業したニックは、生活のため仕方なくその運転手の仕事を引き受けることになり、こうして品格高きシャーリーと、腕っぷしは強く世知にはたけているものの無知で下品なニックの二人の、2か月に及ぶ波乱の道中物語が始まる。

 

実話に基づく物語だという。この時代に、シャーリーという天才ピアニストを育てた家庭、とりわけ、彼に最初にピアノを教えたという母親に興味がわくが、そのあたりは映画では描かれていない。

 

シャーリーは、ピアノだけでなく心理学などの博士号も持っていたようで、映画の中でも、ニックたちが彼が分からないと思ってイタリア語でやり取りしていた内容をちゃんと理解していたシーンなども描かれている。

 

奴隷解放から100年たった時代ではあるが、まだ人種差別の色濃い時代で、とりわけ南部の州には黒人の夜間外出を禁じる法もあったようで、旅が進むにつれ、シャーリーは不当な扱いを受けるようになる。

 

差別意識は強かったニックだが、無知な彼ですらその演奏に感動してしまうほどの素晴らしい技量の持ち主であるシャーリーに対するあまりにひどい扱いに呆れ、そうした境遇の中でも人間としての品位を失わず、権力を利用することを嫌い暴力を避けるシャーリーの人間性にひかれていく。

 

今から60年ほど前の社会の人種差別のひどさには驚くが、しかし、シャーリーに対する人々の対応の仕方を見ていると、60年前もわきまえている人はわきまえているし、分からない人は60年たった現在でも、いっこうに分からないままなのだなあということを痛感した。

 

悪意はないが、たんに「知らない」だけの人は、世の中が変わったり医学や科学の知見で新たな情報を知ることで変わることができる。法律が変わることによって、「しかたなく」それに従うようになれる人も一定数はいる。

 

しかし、世の中の常識がどう変わろうが、新たな知見が知らされようが、おのれの偏見を頑として変えようとしない、どうしようもない人間も一定数存在する。映画に描かれた、シャーリーを差別するレストランの支配人や警察署長のような腐った人間は、60年後の今日も、きっと何一つ学ばず同じように愚かなままだろうと思う。

 

しかも、そのような人たちが結構この社会のピラミッドの上の方に君臨しているような気がしてならない。そうではない、品格を感じさせる国もあるが、悲しいことにこの国を見ている限り、非常にこの思いを強くする(ああ、あとIOCあたりにもたくさんいそうだ)。

 

心ある人々の努力で少しずつ社会の仕組みや法律が変わり、長いスパンで見れば人類は進歩してきたのだろうが、それにしても技術や機械といった物理的なものの進歩や変化に比べ、なんと人間には進歩がないことかと思わざるを得ない。

 

この映画でドクター・シャーリーを差別する人を、なんと愚かな・・・と笑える人はどれだけいるだろう。

 

 

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