あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

発見と驚きの日々

赤ちゃんが文字を綴ることができたなら、毎日驚きと発見と、そして新しくできるようになったことを喜びとともに書き記すことだろう。老いることは赤ちゃんに戻っていくことだと言うが、そうした点でも似ているかもしれない。ただ方向が負の方向であり、悲しさや寂しさとともに記す点が違うけれど。

 

なぜか昨日から耳の調子がおかしい。テレビの音が急に小さくなり、また故障だろうかと思ったが、どうやら悪いのはテレビはなく、自分の耳らしいと分かった。ジーンとかボーっとかいう感じの耳鳴りもしているし、聞こえる音が水の中で聞くような、と言っても水の中で話したこともなく意識して音を聞いたこともないが、きっとこんな風に聞こえるのではないかと想像される聞こえ方がする。

 

自分の声も薄い水の膜を通して伝わってくるような、なんだかおかしな具合に聞こえる。今までも左耳は聞こえにくかったが、昨日からの変調は、ただ聞こえにくいだけでなく、音の質も違ってしまっている。

 

老いるとはこういうことなのかと、日々思い知るこの頃だ。手術をした右の股関節の重さ(痛みはないのだが)は増してくるし、この頃の手の痛みで、布巾を絞るのも洗濯物をピンチで挟むのも注意が必要だ。内科的には問題がないし母の体質に似ているので、同じくらいの寿命ならば、恐ろしいことに先はまだ27年もある。

 

それなのに、命の入れ物である肉体が今からこの状態なのでは先が思いやられる。母はどうだったのだろうか。歩くとすぐ腰が痛くなってしまうと言って、そのくせ老人車を押すのは年寄り臭い(実際年寄りなのに)からと嫌い、それでデパートに洋服を見に出かけることすらままならなくなったが、その他の不自由は口にしなかったように思う。耳もよく聞こえていた。どうも私のほうが情けない・・・。

 

失ったものを数えるより、残っているものに感謝して生きなければと思う。子供が成長していくプラス方向の話なら楽しいが、老いていくマイナス物語は誰も聞きたくないことだろうとは思うけれど、なにせ初めてのことには戸惑いが付きまとう。ぼやきのブログになって、読んでくださる方には申し訳ないと思いつつ・・・。

 

 

 

ところで、今朝のNHKニュースに「基地のある風景」というミニコーナーがあった。スイッチを入れたらすでに始まっていたので、どのような紹介で始まり、正味どれくらいの長さだったのか分からないが、私が見始めてからでも5分近く流れていたように思う。

 

沖縄の普天間基地近くで暮らす人達のミニミニドキュメンタリーといった感じで、保育園でお昼寝している子供たち(これまでは窓を閉めて冷房することで騒音を少しでも防いでいたが、コロナでそれもできなくなり、音で目覚めてしまう子もいるそうだ)や、轟音とともに頭上を飛ぶ驚くほど大きな機影を映していた。

 

百、千の言葉より、雄弁だと感じた。関東(だったと思う)から移ってきたという若い主婦が、「基地が大変と聞いても、ただちょっと飛行機がよく飛ぶだけだろう、大げさな・・・と感じていた。でも、実際こうして暮らしてみたら、そんなもんじゃなかった」と言っていた。

 

基地問題は多くの人がしょっちゅう耳にし目にしていると思うが、その本当の大変さは案外分かっていないのではないだろうか。基地問題を扱った映画などでは、もともと関心のある人しか鑑賞せず、感心のない人はいつまでたっても知らないままだ。賛成とか反対とか関係なく、ただこうして基地のある生活の実際を、多くの人の目に触れやすくするということが、とても大切なことだと感じた。

 

早速、NHKサイトから労いのメールを送信した。

 

 

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緑内障で光を失った晩年のオーガスト