smokyさん(id:beatle001)が映画『いとみち』を紹介していらして、そのポスターに、ヒロインとともに「わぁ、三味線弾ぐ」という文字が躍っている。
おそらく、津軽弁を知らない人は、この「わぁ」を「ワーッ!」という感嘆詞ととるだろうなと思った。「わぁ」は「私は」なのである。
津軽弁ネイティブでもない私が津軽弁について語るのもおこがましいが、ついこのポスターに刺激されて、愛する津軽弁について少々語りたくなった。
津軽弁にはひらがな一文字で一つの単語というのが結構ある。「わ」は「私」、「な」は「あなた」。このほか、「か」:あげる・どうぞ 「く」:食べる 「け」:食べなさい・下さい 「め」:おいしいなど。それで、伊奈かっぺいさんの傑作な一文字のセリフのやり取りの物語が生まれる。
女 の(ねえのような呼びかけ)
男 ん?
女 く?
男 け
女 か
め?
男 めぇ
手元に本がないのでうろ覚えだけれど、見開き全部が、男と女のこうした一文字の言葉のやり取りで埋まっていた。津軽弁(に限らないだろうが)をものすると、言葉遊びの幅が広がり楽しい。東北の人は口が重く暗いというイメージがあったが、津軽に暮らしてその先入観は見事に崩れた。私の婚家こそ重苦しい空気だったが、一般に津軽人のユーモアセンスはなかなかのものだった。
伊奈かっぺい氏の説によれば、津軽弁は、口の中に雪が積もってしまわないように、言葉はなるべく短く、そしてあまり口も大きくは開けないでしゃべるようにした結果生まれたものだそうだ。
私は英語のヒアリング力もお粗末だけれど、転居した当初、津軽弁はその英語よりもさらに聞き取れない状態だった。ひと単語も拾えず、切れ目さえ判別できなかった。まさに英語圏ではない外国に放り出されたような心細さだった。
最近ではどこの方言も標準語や各地の言葉とミックスされて、だんだん平準化に向かっているが、江戸時代あたりは日本国内と言えども、ちょっと離れればもう言葉が違い、話が通じなかったという(江戸開城の西郷と勝の会談は、文語でも用いないと通じなかったらしい)から、現代は便利ではある。しかし便利は味気ないに通じる。
そんな現代に、この『いとみち』という映画は、あえてかなりしっかりした津軽弁を使って作られているらしい。smokyさんのコメントによると、字幕を付けるとそちらに注意が行ってしまうので、監督はあえて字幕もつけず、津軽弁を「感じて」欲しかったようだ。
長男と次男がそろうと、子供時代兄弟の会話は津軽弁だったこともあり、津軽弁ばなしで盛り上がるのだけれど、それぞれ忙しい社会人ともなると実家で兄弟が一緒になることも少なくなる。昨年からはコロナで他県にいる長男は帰省もできない。『いとみち』で津軽弁を味わうのも一興かもしれない。
子供たちが小さかったころ。地元の子供会のねぷた。
日曜、月曜とアザラシのように(アザラシに失礼?)ゴロゴロしていたが、今日は何とか通常モード。ご心配くださった皆様ありがとうございました!