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たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

かく生きたい!と思う『影ぞ恋しき』葉室麟著

『影ぞ恋しき』は、以前『いのちなりけり』を読んだときに知った、著者の「いのち三部作」の完結編だ。そうして、葉室麟氏の遺作となってしまった。

 

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実は『花や散るらん』はまだ読んでいないのだけれど、前回市民館に行ったときに本作を見つけ、三部作のことには思い至らず借りて来てしまった。読み始めてから、この登場人物には覚えがあると思い、読書記録を調べて三部作のことを思い出したという次第だ。

 

真ん中を飛ばすことになるが、手にした本書を読まずにはいられなかった。

 

あまりの感動に、やはりこれは第二作を読んでからに取っておくべきであったかもしれないとも思った。けれども、もう一度『いのちなりけり』から順に読んでもいいなとも思う。それほど、本作の主人公雨宮蔵人(あまみやくらんど)に魅せられてしまった。

 

第一作は将軍綱吉の時代を背景に、「黄門様」のイメージとはかけ離れた水戸光圀が登場し、第二作は赤穂浪士の討ち入りを巡る物語らしい。第三作の本作は、権力を巡る争いから綱吉が毒殺され、その陰には吉良家の遺恨も絡んでいたという物語。そこに蔵人や妻の咲弥、娘の香也が巻き込まれていく。

 

九州鍋島藩支藩の家の姫でありながら、運命に翻弄された咲弥は、夫である蔵人と別れ別れに暮らしていたが、今は京都鞍馬の田舎で娘も一緒に親子水入らずでひっそり暮らしている。その蔵人の元に、信濃諏訪藩に幽閉されている吉良左兵衛(さひょうえ)に仕えるという、冬木清四郎なる若者が訪ねてくる。

 

蔵人・咲弥の娘香也は実の娘ではなく、賊の手から蔵人がその命を守り我が子として育ててきた、吉良上野介の孫娘なのだった。病でいまわの際にある左兵衛が、香也に会いたがっていると言う。

 

諏訪の左兵衛の元に行くと、彼は清四郎を香也の婿として、吉良家の再興をするという望みを蔵人に託す。左兵衛の「末期の願いじゃ」という言葉を受け入れた蔵人は、やがて大それた仇討をする清四郎のために、大変な戦いを繰り返さざるを得ない運命になる・・・。

 

綱吉のあと将軍の地位についた家宣は、綱吉の悪政を正し「正徳の治」を行おうとするが、その陰でそのための悪の部分をすべて引き受けようとする弟の存在があり、蔵人にとって手ごわい敵となるが、その描き方に厚みがあるため、物語の魅力がいっそう深いものになっている。著者は、それぞれの側につく忍びの者たちの悲しさまで丁寧に掬い上げる。

 

善も悪も一筋縄でなく、歴史に登場した実在の人物(柳沢吉保新井白石・荻原重秀など)の一面も興味深いが、やはりこの物語の白眉は、主人公雨宮蔵人の清廉な生き方と、そうした夫を尊敬し信頼してどこまでもついて行こうとする妻咲弥との夫婦愛だろう。

 

「主に仕えるのではなく天に仕える」と言って浪人を貫き、人のために死闘を繰り返した果てに、「この世に生を受けるのは何事かをなすためだと思う。何も天下国家を動かすほどの大きなことをせねばならぬというのではない。花を愛で、風物の美しさに嘆声を放つことでもよい。隣家の子供にやさしく声をかけることでもよい。さらには、道で行きおうた年寄りが難渋しておれば、かばい、助けてやることでもよい。とわたしは思う」そう淡々と語る蔵人に、心をつかまれずにはいられない。

 

 

色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき

古今和歌集にある紀貫之の歌。色も香りも昔のままに咲き香っている花を見ると、この花を植えた亡き人の面影が恋しく思われる。タイトルはこの歌にちなむ。

 

 

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