くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る
窓外を眺めているうち、なんとなくこの歌が浮かんだ。まだバラは蕾を持つどころではないので、子規がこの歌を詠んだのは、もう少し季節が進んだ頃合いだろうけれど。
雨が多くなった。ひと雨ごとに春が進むと思えば、雨も少しうれしい。
夏目漱石の大ヒット作『吾輩は猫である』は、この子規のあとを受けた高浜虚子が、「ホトトギス」になんでもいいからぜひ小説を書いてくれと、漱石に頼んだことで生まれたという。
漱石の周辺の実際に、フィクションの桂美禰という若い女性をからませて、このベストセラー誕生にまつわるいきさつをミステリー仕立てにして楽しく読ませてくれるのが、本作である。どこまでが事実でどこからが著者の創作か、けむに巻かれるのも楽しい。
ある日「私」のもとに、知人のT氏から、古めかしい巻紙に書かれた手紙が持ち込まれる。旧漢字・旧かなづかいのうえに毛筆の崩し字で書かれたその文章は、当初「私」にはちんぷんかんぷんだったが、それでも内容が比較的簡単な文章だったので、やがてすべて読み解ける。なんと末尾の差出人の名は、「夏目金之助」だった。
「私」は手元にある岩波書店の漱石全集から書簡集2巻を取り出し、この手紙を調べるが、桂美禰という人物にあてた手紙はない。『吾輩・・・』の文体を生むきっかけになったかもしれない内容といい、すわ大発見かと「私」は大興奮する・・・。
国を代表する英文学者としてイギリス留学を果たしながら、帰国後とくに取り立てられるでもなく、妻の鏡子にやりくりを嘆かれる薄給の教師生活に腐り、ビスケットのやけ食いをしてタカジアスターゼのお世話になる漱石。金に細かいかと思えば、あちこち、だれかれとなく、頼まれればない金をかき集めて都合してやる漱石。新しい日本文学の文体を生み出す苦しみとともに、こうしたチャーミングな漱石像が紡がれる。
著者の想像の産物である美禰という女性が魅力的に立ち上がり、こんな女性が本当にいて、漱石に影響を与えたのかもしれないと思わされる。『三四郎』のヒロインの名を使っているのも効果的だ。