とりあえずという感じで録画しておいた、深夜の映画『幸せなひとりぼっち』を観た。内容は知らず、題名とスウェーデン映画という所に惹かれただけだったが、これが大変な掘り出し物だった。
主人公は、半年ほど前に最愛の妻ソーニャに先立たれた59歳のオーヴェ。もともとの生真面目さに、年齢なりの頑固さや妻に取り残された寂しさも加わって、いまや近所でも少々煙たがられている偏屈なお爺さんだ。
現代の日本の59歳はとうてい老人呼ばわりできないが、この映画のオーヴェは、彼が会社側からリストラされる場面で出る、「あなたはまだ59歳だから・・・」という字幕の59歳というのが間違いではないかと思うくらい立派なお爺さんである。
43年間彼なりに誇りを持ってきた仕事も取り上げられ、失意のオーヴェは約束通り天国の妻のもとに行こうとする。天井からロープを吊りまさにスツールを蹴ろうとした瞬間、車を乗り入れてはいけない決まりになっている住宅地に、引っ越しの荷物を積んだ車が入ってくるのが窓越しに彼の目に入る。
首にかけたロープをはずし(!)、文句を言いに出ていくオーヴェ。相手は向かいに越してきた、イラン人女性のパルヴァネとその家族だった。このパルヴァネという女性が厚かましくお節介ながら憎めないキャラクターで、またそんな彼女の娘たちも人懐こくて頑固爺さんのオーヴェにも懐いてしまい、オーヴェの人生を変えていく。このあとも何度も死のうとするオーヴェだが、そのたびに邪魔が入ってしまう。
物語はオーヴェが妻と出会った若い頃と現在を行き来しながら進み、若い夫婦の幸せの絶頂を襲った不幸を描く。妻のソーニャは教師になるのが夢だったが、事故で車椅子生活になってしまい、彼女の優秀さは認めながらも、どの学校も採用はしてくれない。
ソーニャが墓碑によれば1956年生まれになっているので、この時代背景は1970年代後半くらいかと思われるが、今や福祉国家で名高いスウェーデンでも、この頃はこんな社会環境だったのかと驚く。そして同時に、日本でも政治が本気がなればいくらでも変われるのだということも感じさせられる。
パルヴァネやその子供たちとともに、映画の冒頭から画面にチラチラと愛らしい姿を見せていた猫もなかなかよい役どころで、改めて人の頑固さや孤独を慰める子供と動物の力を痛感する(ちなみに、オーヴェが初めてソーニャと出会った時、彼女の読んでいた本も猫の本だった)。
かつて地域の自治会長をしていたオーヴェを、選挙でその座から追い落としたルネも、今はかなり重度の障害で車椅子生活だ。介護業者はそんなルネを再三施設に収容しようと家にやって来るが、妻は夫と引き離されるのを拒否している。
介護業者と闘うオーヴェに、パルヴァネは「何でも一人で抱え込むな、一人では無理なこともみんなで力を合わせれば解決できる」と言うのだが、頑固なオーヴェは素直に聞き入れない。いよいよ強制的にルネが連れて行かれるという時、鉄道での人命救助を目撃した新聞記者や住民たちの協力が力を発揮する。
まだまだ車椅子の人の生活が不便であったり、ゲイに対する偏見があったり、オーヴェがしばしば口にする「白いシャツ」の男という言葉からは、階層への差別があるであろうことも強く感じられる。
そうしたなかで、不器用な彼の一番の理解者だった愛妻ソーニャを失い、頑なに心を閉ざし人生を捨てていたオーヴェが、パルヴァネの娘たちには笑顔を見せるようになり、第三子の赤ちゃんを抱いたところでは実に柔らかなほほえみを見せる。こういうオーヴェをこそ、天国のソーニャも望んでいたことだろう。
お金よりも大切なものがあるということを伝える王道の物語だけれど、説教臭くも無く実に魅力的に描けている。冒頭の園芸店のレジでのやり取りなどどうしようもない嫌なクレーマーの爺さんなのだが、こういう人物を主人公にこんなにチャーミングな映画ができてしまう。
映画の見巧者SPYBOYさんが紹介していらっしゃったのではないかしらと思い調べたら、やはり書いていらした。