情緒的な物語が大好きなこの国の大衆とマスコミに、このようなタイミングでこのような物語が投げ込まれるとは、残念無念などという語では表せない。
気分が悪くなるばかりなのであまりテレビはつけないようにしているが、案の定、お涙頂戴や礼賛物語があふれ出しているようだ。ネットとて同じだろう。
どのような人であれ、理不尽に命を奪われていいはずはない。亡くなられた方には心から哀悼の意を表したい。けれども、それはTwitterにもあったけれど、コロナで放置されて自宅でひっそり亡くなった方も同じだ。
故人を悼むことと、その人の行ったことをきちんと検証し評価することとは別である。とりわけ、税金で雇われて働き、しかも大きな権力を与えられていた人物なのだ。死者を神聖視したり神格化したりしたのでは、ことの功罪を明確にして、反省し、再発を防ぐということもできない。これが苦手なこの国は、またしても過去のあやまちを繰り返そうとしているように思う。
批評精神を忘れたテレビは消し、新聞は購読をやめよう。テレビ局や新聞社に抗議の意見を届けよう。
もちろん、明日の投票には雨あられが降ろうとも出かけ、民主主義が機能するような投票をしよう。棄権や白票では、抗議にならない。