あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

櫛の歯が欠けるように・・・

このところ身近で訃報が相次ぐ。この春から、住んでいる団地内で5人。そのうちの3人は老人会の仲間だった。以前にも書いたが、小学生の下校時の見守り活動の相棒で、元気自慢だった方もこの中の1人だ。

 

ああ、こうしてごく身近な人たちが徐々に亡くなっていくのが、年をとるということなのだなと思う。日々人が亡くなっていることは、情報として知ってはいても、しょっちゅう顔を合わせていたような身近な人が亡くなるというのは、心にかなり違うものを受けるのだなと知る。

 

今のところ、当然と言えば当然なのだろうが、亡くなった方たちは私より少し上の世代の人たちだ。これがさらに自分の世代になってくれば、受ける衝撃もいっそう強いものになるだろう。あまり取り残され感がきつくならないうちにいきたいものだと思うが、度々書いているように、私はしっかり取り残されそうで心配だ。

 

一昨日は、亡くなった人の友人だった方が我が家にそれを知らせに来てくれた。近くに親類縁者のない独居の男性を、友人のその人が世話してくれていた関係で、今までにも何回かお会いしたことのある人なのだけれど、相手はそんなことは忘れているようで、私を初対面の相手として話して帰られた。

 

ああ、この方もすでに認知症が始まってみえるのだと感じた。こうして少しずつ頭に霧がかかっていくのは、取り残されていく寂しさや恐怖を薄めてくれるのかもしれないと思う。

 

 

新しい内閣の顔ぶれが発表になった。あいも変わらずで、70代が何人もいる上に最高齢は81歳だ。政治家という人種は、人生の黄昏も、引き際も、感じないのだろうか。それ以上に、明らかに問題となっているカルト教団と関係のある人物が何人も入っているのに呆れる。国民には分かるまいと思っているのだろうか。まあ、首相自身がしっかり証拠写真までさらされてしまっているのだから、知らんぷりするしかないか。

 

まともな社会であれば、改造の前に内閣総辞職だろうと思う。恐ろしいことに、人間というのは、良いことはなかなか見習わず世に広まっても行かないが、悪いことはすぐ真似をし、その結果悪が社会の隅々まで侵していってしまう。国葬されようとしている人物の最も重大な罪だ。この病理を治すのに、今後どれだけの時間がかかることだろう。