あとは野となれ山となれ

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ヘルプマークに思うこと

大きな手術をして、数か月のブランクののちボランティア活動に復帰した男性は、障碍者一級になったと言う。けれどもちょっと見たところでは、杖を突いているでもなく、全く元の状態と変わりはないように見える。

 

一緒に歩くとさすがに歩調は非常にゆっくりなので、相手に合わせてゆるゆると歩く。事情が分かっているのでいいけれど、もし何も知らない人が彼の後ろを歩いていたら、ちょっと苛立ってしまうのではないかと思う。

 

そこで、「〇〇さん、見た感じは前と何も変わらなくて、とても障碍一級とは思えないので、ヘルプマークをお付けになったらどうですか」と聞いてみた。すると、彼は「それも考えたんですが、かえっていたずらされたりしても怖いし・・・」という答えが返って来た。

 

一緒に歩いていた人たちと、「確かに。近頃とんでもない人も少なくないし、それもそうですね」ということになった。

 

思えば、ヘルプマークというのは人々の善意を前提にしたものかもしれない。ある種の人には、「私は非力な存在です。格好の獲物です」というふうに見えてしまうかもしれないと気づかされた。自分が当事者にならなければ分からないことは、たくさんあることをまたしても思い知らされた。

 

 

いま急速に円安は進み、さまざまな指標がすでにこの国が先進国ではないことを告げる。ただ、私が子供の頃は1ドルは360円で、小学校の社会科では「日本は資源も乏しく輸入超過の貧しい国」と習い、エンゲル係数は40くらいだった。

 

それを思えばまだかなりマシだと言えるかもしれないが、なんだか人々の心は、どうもあの頃(昭和30年代)よりもギスギス、とげとげしているように感じる。凶悪犯罪は確実に減少しているし、法令順守の精神はあの頃よりはるかに世に浸透もしたと思うけれど、住みにくくなったように思うのは、過去が美化されているだけだろうか。子供だから、分からなかっただけなのだろうか。

 

狭い国土なりの人口や国力に落ち着き、世界の中で平凡な目立たない国になってもいいから、お互いがもう少し柔らかな心で、弱い立場の人を思いやる余裕をもって暮らせる社会を望むのは無理なことなのだろうか。

 

 

助け合わなくっちゃね。   (カラパイアさんのサイトから)