あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

アファンタジアという症状の存在

私の身近な人が、最近になってアファンタジアだと分かったと言う。「アファンタジア」。初めて聞く言葉だ。

 

何だろうと思ったら、頭の中でものごとを視覚化することができない人のことだそうだ。たとえば、「さあ、頭の中でイメージしてください。真っ白な雪原に点々と兎の足跡がついています・・・」と言われたとき、たいていの人の頭の中には下のような図が描かれると思うが、こうした画像を思い浮かべることができないと言う。

 

 

外から見てわからないのはもちろん、本人も、他の人も同じなのだろうと思っているのでなかなか気づきにくい。こうした人の存在そのものは1880年に発見されたものの、現在も研究はあまり進んでいないらしい。

 

こういう人は「犬を描きましょう」と言われてもうまく描けない。見て描けば問題なく描けるのだけれど。子供の頃の母の日の絵などは困ったことだろうなと思う。

 

私はだいたい夢はカラーで見ていると思うが、アファンタジアの人は「まったく見ない」「ほとんど見ない」「見るけれどはっきりしていない」ということが多いらしい。眠れない時には羊を数えるといいと言うが、アファンタジアはその羊をイメージすることができないのだそうだ。

 

この他、脳内で道を再構築することができないため、方向音痴であることが多い。これは私も非常に該当しているのだけれど、私の場合は真正(?)の方向音痴であって、アファンタジアではないと思う。

 

道路とか空間図形が把握しにくいなどという点では大いに共感できるものの、アファンタジアという症状が存在し、頭の中で犬や猫や愛する家族の顔も想起できない人が存在するということには、非常に驚いた。研究が進んでいないので詳しいことは分からないが、出現率は2~5%くらいらしいので、気づかないだけで、それほど特異な存在ではないのかもしれない。

 

そんなことから、自分の見ている「赤」と他の人が見ている「赤」とは同じとは限らない、いや実は大変な相違があるのかもしれないという話になり、人というものは案外それぞれにかなり違う世界で生きているものなのかもしれないと思ったことだった。

 

 

もしかすると、目下国民の関心の集まるあの人物なども、モリカケ問題だけでも118回も嘘をついたと言われるが、ご本人は全く嘘をついている自覚などなかったのかもしれないとも考えられる。「嘘」という概念自体、はたしてあったのか・・・。

 

そして私などは「政治とは人々の税金を預かって、弱い立場の人たちも安心して暮らせる社会であるよう腐心すること」と思っているが、かの人は疑うことなく「権力であり、自分とつながる人たちに利益をもたらすこと」と心底から信じていたのかもしれない。

 

不幸なのは、そのような人物を歴代最長という長きにわたって総理大臣としていただいていた私たち国民だ。それも、どうやら八百長プレーによってその座に居座られたらしいというのだからたまらない。

 

これからは、人は自分と同じような価値観・倫理観で生きているなどと思い込まず、むしろ、嘘をついているとか悪をなしているという自覚すらなく、人を利用し蹴落としても勝つことが善であると信じている人間すらいるということを念頭に、選挙に臨んだほうがいいのかも知れない。

 

日々繰り広げられる、権力者たちの「私にとっては」信じられない言動のオンパレードに、アファンタジアという初めて出会った言葉から、こんなことまでを考えてしまったことだった。

 

 

外は十五夜、秋の気配の近づく夜。