あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

秘するゆえさらに・・・『燃ゆる想ひを』鈴木輝一郎著

「女が生きるのに、男はいらない」。この物語の書き出しの一文だ。古風なタイトルと装丁なのに現代ものかと思った。けれども、関ケ原の戦いの時代を背景にした、女の物語だった。

 

主人公は近江と美濃の境にある伊吹山のふもとの薬種問屋不破屋の女主人「とき」である。この「とき」の心情として、この一文が繰り返し出てくる。今も昔も、女は強いのである。精神的な意味で。

 

ときは元亀元年生まれの数え31歳。この時代ではとうに女の盛りは過ぎ、若い頃は多くの男たちに言い寄られるだけの容色は備えていたようだが、すでに、店に押し込みに入った男たちにすら相手にされない年齢である。

 

戦の続く時代、薬種屋の主人である夫は、兵たちについて歩いて傷の手当てをしたり必要な薬を飲ませたりで店には不在がち。けれどもときはむしろさばさばしている。

 

入り婿である夫佐平次は気弱さと誠実さは同居するものだということを服を着て言っているような男で剛胆さはない。男手の足りない里のこと、取引先の手代として出入りしているうちに、ごく自然に妻夫(めおと)の約定が父との間にできていた。

 

ときは父を尊敬し慕っていたが、その父もなくなり、夫が旅に出てしまうと、ときは雇った里の農家の娘二人と、不破屋に何十年も仕える五十をこえた老婆とで店を守っている。伊吹の艾(もぐさ)は平安の世からよく知られ、畑で蓬生を栽培し、葉を摘んで艾にするのも女たちの仕事だ。

 

ある日戦場から、夫が隠し子である少年を連れて戻って来る。以前から出先に女がいるらしいことには気づいていたときだけれど、まさか子まで成していたとは驚きだった。しかしこの年まで自分に子がない以上これからも持てないであろうことは明らかで、ときはその少年を受け入れる決心をする。薬を追加してまた二人は戦場へと旅立つ。

 

徳川方と石田方とで混乱が生じそうだとのことで、関ヶ原近在の女や子供は武家不入の地である寺に避難することになる。二人の娘と老婆を避難させ、ときは一人で店を守ることにする。

 

そんな中、ときは蓬生畑で大怪我を負った鎧武者と遭遇する。放っておけばやがて命を失いそうなその武者は、ときに自分の腰の刀を抜いて首をはねてほしいと頼む。切支丹であるため自害は出来ないというのだ。その武者が何者か分からないまま、ときは男を祠に匿い介抱する。

 

ここから家と祠を何度も行き来して、粥や湯や薬を運びかいがいしく武者の世話をするときの日々が始まる。武者は徳川方の残党狩りや近在の者の落ち武者狩りがあったら、「名前を知らぬまま、脅されてやむなく匿った」と言って引き渡せと言い、知らぬ方が良いと決して名を明かさない。切支丹に帰依した時に受けたという、晏牛頭(あんごす)天王という法名のみを教える。

 

牛頭天王の世話をしながら、ときはいつのまにか自分の心が華やぎを覚えているのに気づく。篤い信仰と毅然とした態度を貫く晏牛頭天王に、ときは亡き父の面影を重ね、慕う気持ちを募らせていく。

 

物語りの中盤を占める、このときと晏牛頭天王との交流を描いた部分が佳境だ。ときだけでなく男の方も好意があるのではないかと思わせるのだが、決してそれを口には出さず、ときも狂おしい思いを抱きながら(かなり危ない場面もあるが)かろうじて踏みとどまる。

 

やがて晏牛頭天王はなんとか自力で歩けるまでに回復し、別れの時がやって来る。何か礼がしたいという男に、ときは「あなた様を助けたことを、私が誇れるようにしてください」と言う。「落ち武者の隠蔽は重罪だ。誰かに誇りたくとも、誰にも言えない」と男は言い、自分の命以上に大切にしていた経典の一部分を切り取り、守り袋か何かに詰めて身につけておくようにとときに手渡す。「何かあったら、それを握りしめて私を呼びなさい。私はいつでも参る。私ができる恩返しはそのぐらいだ」と告げて。これが劇的な結末につながっていく。

 

この秘めた恋の中でときは女として人間として成長し、「男はいらない」と繰り返し言っていた彼女が、最後には「女も人も、ひとりでは生きられません」と言うやわらかさを持つにいたる。

 

心に残る素晴らしい言葉もそこここに散りばめられ、深い感動を覚える物語だった。タイトルはもちろん、藤原実方朝臣の「かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」からきている。