あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

台風一過といかない煩わしさ

国葬儀とやらがやっと通り過ぎたけれど、このところの台風と同じで、一転スッキリ青空!とならないところがまた厄介だ。今日も世の中は分断されたまま、あっちからもこっちからも非難の言葉が飛び交う。疲れるので、極力罵詈雑言の類は見ないように心掛けてはいるけれど・・・。

 

自分の組する側はなるべく知的で上品であって欲しいと願うのだけれども、SNS上で50年前の亡霊と見紛うような、ヘルメットにスクラムの画像を目にし愕然とした。これは本当に昨日のこと?全く人間とはなんと学ばず進歩しないものかと悲しくなる。

 

昨日の私たちの抗議行動は、スタッフさんの約束通り、メ~テレの夕方の『アップ!』という情報番組内で流れた。なるべく国葬の様子を目にしたくないので、私は録画にしておいて、不快な部分は飛ばすように努力した。

 

東海地方でも国葬反対の行動が名古屋・豊橋四日市であったという紹介の後、名古屋に続いて豊橋の様子が流れた。全部でも1分にも満たないほどの長さで、”言い出しっぺ”と私のインタビューがそれぞれ15秒程ずつ・・・。

 

うんと短くなってしまうのは分かっていて、問題はどんな風に扱われるかだったのだが、何の色も付けず、素直な編集で安心した。局のホームページから取材のお礼がてら、エールを送った。民主主義がきちんと機能するためには、権力の監視者たるマスコミの力が不可欠なので、もろもろしがらみや圧力もあるでしょうが、頑張ってくださいと。

 

久しぶりに他の機器から流れる自分の声を聞き、高い声だなと思った。自分の声は体内に反響したものを聞いているので、外部の人が聞いている声とは違う。音訳ボランティアをしていた頃、録音した自分の声を聞くと、もっとソフトなつもりなのに・・・とよく思ったが、やはりこれが自分以外の人の認識している「私の声」なのだろう。

 

昨日のスタンディングで私が掲げたプラカードは、Twitterで見つけた遺影の額の中に日本列島が描かれたもの。インパクトがあって面白いと思い、見つけたときにご本人の許可を得ておいたものだ。

 

遺影を持つのだからと、紺のTシャツ素材の(つまり普段着)ロングワンピースに、パールのイアリングとネックレスでちょっとそれらしい雰囲気にした「なんちゃって喪服」にした。半分は冗談で半分は揶揄。「なんちゃって国葬」にはぴったりだったのではないかと思っている。

 

さて、台風一過とはならないけれど、気持ちを切り替えて、少しでもマシな民主主義になるよう、次のステップに踏み出さなくては!

 

 

雲外蒼天  いくら雲が厚くても、その上の青空を信じて!

(ほしとたんぽぽdandelionさんのブログよりお借りしました)