あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

師走の街を歩く

本年度3回目の市老人クラブ女性部の会議があったので、市役所の本庁舎まで出かけたのだけれど、内容は呆れるほど形式的で内容がなく、こういうことをつかさどっている担当部署の職員たちは疑問を持たないのだろうかといぶかしくなる。

 

超高齢化と言われる社会で、高齢者の生き方は重要性を増すばかりで、働くとか生産性のあるなしとは別に、なるべく健康的に、そして自分も生きがいを感じながら社会に貢献できるような生活を考えることは大切だ。

 

けれども、どうもお役所が音頭を取る高齢者のための施策は、前例を踏襲し予算を消化するためのものに過ぎない気がしてならない。当の高齢者たちも、主な役職を長年続ける人はその権威だけで満足しているのだろうし、席が空いて新たに入る人は様子見であまり発言できないし、意味を見いだせない人は早々に退任していくだろうから、当事者の中からも改革の動きは出にくいだろう。

 

そうした空気に逆らって、作年、長らく続いてきたチャリティーバザーの意味に私は疑問を投げかけた。発議してみれば、案外同じように考えている人も多く、大してもめることもなく廃止となった。

 

けれども、その代わりに行うことになった事業が善意銀行へのタオル・雑巾の寄付で、しかもそのタオルの数が、持ち込む人の負担を考えて、各老人クラブ2枚(!)というのには驚きすぎて質問もできなかった。それに、「持ち込む人の負担」と言われると反論も躊躇してしまう。

 

市民の中の困っている声を拾えば、時間や労力が余っている高齢者のボランティアで対応できることも結構あるのではないかと思う。人の役に立てるというのは喜びだし、生きる張り合いにもつながるだろうと思うが、お役所が縦割りでは、困りごとの声も十分つかめない。老人クラブは長寿介護課の担当なので、職員たちはおそらく「長寿介護」の狭い範囲でしか考えないだろう。しかも従来の活動に縛られて・・・。

 

せっかく市中全域から代表が足を運んで会議をするのに、もっと実りある内容にするにはどうしたらいいだろう。新参者が・・・と抵抗されずにうまく改革の舵取りをしていく方法を考えていきたい。

 

市役所まで往路は駅前から路面電車を使ったが、帰りは途中いつもの佃煮屋さんに寄るので歩いた。おかげで本日のウオーキングは7245歩。靴もスニーカーにしたので、足に問題は起きないつもり・・・。

 

 

市役所庁舎の8階の窓からの眺望。中ほど少し左のとんがり山は石巻山(いしまきさん)。標高358メートルと大した高さはないが、結構特徴的な姿で目を引く。この山のふもとが、先日の「昭和な写真」に写っていた母の実家のあるところ。