チューリップ喜びだけを持ってゐる
今から40年ほど前、公文の俳句カードでこの句に出合い、チューリップの印象をなんと素朴に端的に表しているんだろうと感動した。細見綾子さんという、明治時代に生まれ平成時代に90歳で亡くなった方の作だ。もっと新しい時代にできた句のように感じていたので、そんなに昔の作だというのにも驚く。
春の花はどことなく憂いを感じさせるものが多い中、チューリップは本当に全身で喜びを謳っているように感じる。
数年間植えっぱなしでも大丈夫なスイセンやクロッカスに比べ、チューリップは毎年掘り上げてまた植え直さなければならない。そしてそんな手間がかかる割には花期は短い。にもかかわらずこんなにもチューリップが人々に愛されて続けているのも、このまったき幸せぶりゆえだろうか。チューリップを見ていると、こちらまで自然に笑みがこぼれてしまう気がする。
豊橋に戻ってきて間もない頃の春に、名古屋の友人が拙宅を訪ねて来てくれた。その時に手土産で持参してくれたのがピンクのチューリップの鉢植えだった。ゼロからの仕事のやり直しで生活も心細い中、このチューリップが次々と咲いてくれて随分慰められたのを覚えている。あの時の球根は、忙しさにかまけて掘り出したり植え替えたりの世話もできずじまいになってしまった。
今の住まいにも随分前にチューリップを植えたのだけれど、変わった品種を選びすぎてひよわな花しかつけてくれず、なんだかがっかりして私も手を掛けなかったので消えてしまった。数種類のスイセンやムスカリ、フリージアは放りっぱなしでも毎年咲いてくれているが、喜びを謳うチューリップは怠惰な私の花壇には不在なままになっている。
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