あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

櫛に魅入られた女性の道『櫛挽道守(くしひきちもり)』木内昇著

以前読んだ『漂砂のうたう』で、信頼できる物語を書く人だという印象を受けた木内昇さんの作品。

 

木曽は藪原宿で、代々名産のお六櫛を作る職人の家に生まれた登瀬。彼女と違って全く櫛を挽く仕事に関心を示さない妹の喜和と元気盛りの弟直助、そして彼女が神州一(信州ではなく神州)の腕と尊敬する櫛職人の父吾助と、櫛にばかり夢中な登瀬を案じる母松枝の5人でつましい生活をしている。

 

やんちゃで小さな頃から風邪ひとつひかぬ丈夫な子だと思っていた直助が、なぜか十二の夏に、水遊びの最中体を温めていた岩の上で死んでしまう。自分がいくら櫛を挽く仕事が好きでも、父親の技を継ぐのは弟だと思っていた登瀬は、突然の弟の喪失を悲しみながらも、ますます櫛の仕事にのめり込んでいく。

 

誰よりも腕も良く、ひたすら板の間に座って日がな櫛を挽く吾助だが、出来上がった櫛は家族の口を糊するのに精いっぱいで、暮らしはいっこうに楽にならない。そんな生活を嫌って妹はさっさと嫁いでいくが、登瀬はせっかく来た婚礼話にものらず、職人の腕は上げるが、今期を逸していく。

 

それでも二十八という年になって、江戸帰りで吾助に弟子入りした実幸と夫婦になる。実幸は腕も良いうえ江戸で覚えた塗櫛も作って販路まで開拓し、一家の生活をみるみる楽にしていく。家にとっても登瀬にとっても良い婿だと思うのだけれど、なぜか彼女はこの夫に心が開けない。

 

後半は浦賀に黒船がやって来るという激動の時代を迎え、山の中の木曾路宿にまで影響は及び、周囲は騒然とし始める。そんな中でも登瀬は技を磨くことに熱中する。思いがけず弟の直助が生前草紙を作って旅人に売っていたことを知り、その草紙を見つけて集めることにも熱を入れる。あまりに早く死んでしまった弟の心を、少しでも知りたいという思いのためだ。

 

弟の一番近くで草紙と関わっていた源次という男が、攘夷の騒動に巻き込まれていき、櫛にしか興味のなかった登瀬も、世情と無関係にはいられなくなる。この後半は、ひたすら深く技を極めようとする静的な前半と対照的に、幕末の不穏さと年取った父親の病や実幸の真の思いなど、読んでいるほうも登瀬と一緒になってハラハラさせられる。

 

これから読もうと思われる方のためこれ以上は触れないが、終わり方も希望に満ち、質実な人々の誠実な人生に心を洗われる読書だった。

 

 

もう半世紀も昔になるが、友人と木曽路を旅した折り、私もお六櫛を土産に購入し今も手元にある。この物語で吾助や登瀬が挽く逸品とはまるで違うだろうが、それでも確かに美しい。昔はどんな貧しい暮らしの女性も、こうした櫛で髪を梳いたのだ。

 

いや、櫛だけではない。台所のざるも、部屋を掃く箒も、どんなにつましい暮らしだとしても、その道具は全て吾助や登瀬のような職人が心を込めて作ったものだったのだ。なんと贅沢なことだろうと思う。

 

この世にプラスチックという物質が生み出され、大量生産の商品があふれ、安価にピカピカの便利な品物が手に入るようにはなったけれど、私たちはなんと大切なものを失ってしまったことかと思う。それは単に道具が替わったというにとどまらず、人間の精神まで侵してしまった感がある。

 

時間は決して巻き戻すことはできないのだから、この流れの先に、少しでも良き未来を紡ぎたい。いつからでも、気づいた人から、自分のできる範囲で・・・と思う。とにかく、もうこれ以上便利さを、速さを、贅沢を求めないことが、幸福につながるのではないかと思う。

 

まずは来月の選挙から、地に足の着いた生活を目指す人を見分けなければ!

 

 

 

私の持っているお六櫛。