雨子さんの今日のエントリーに深く共感した。
この中で、新アリーナ計画に反対する候補を当選させた豊橋市民をお褒めいただいて大変嬉しかったのだけれど、ただやはりと言うか、選挙後たちまち怪しげな雲がモクモクわき始めている。
有権者の15パーセントの支持でうんぬん・・・は先日書いた通りで、これを巷の一市民が呟いている分には言論の自由の範囲内だと思うが、どうやらテレビ局が、明らかにアリーナ推進派に肩入れした番組を流し、新アリーナをホームにする予定だったバスケットチームの運営会社は、アリーナ建設の請願署名運動を展開するという。
私たちはすでに4年前に、「アリーナは建設するとしても豊橋公園以外で」と公約した現市長を応援して、四選を目指した当時の現職市長を破って公園を守ったはずだった。
それなのに市長の座に着くや否や約束を反故にし、まるで市長選までに引き返せないほど工事を進めてしまえというように、公園へのアリーナ建設はどんどん進められた。それに対抗するため、市民側は昨年から二度にわたって住民投票条例の制定を求めて署名活動をし、十分な署名を集めて請願したのに、二度とも圧倒的自民多数派の議会であっけなく蹴られてしまった。
やっと今度の市長選で公約違反の現市長を落選させ、アリーナ建設を止めるという候補を当選させてやれやれと思ったのもつかの間、まだまだいばらの道のりが続きそうだ。
「たてまえ」「矜持」「誇り」「やせがまん」「武士は食わねど高楊枝」。こうした言葉には、ちょっと大変でも格好をつけて、人としての美学を貫こうとする心意気を感じる。ところがいつの間にか「冷笑系」などと言われる人々が、こういう精神をあざ笑い、身も蓋もない醜い人間の本音を言うことを潔いかのように扱う社会になった。
そうした社会では雨子さんが仰るように、地位や権力のある人が自分の得になるようにふるまうことも当然になってしまう。「悔しかったらお前もなれば?」と口にして憚らない。
なんと情けないケモノの社会に・・・などと言ったら、動物たちに失礼だろう。地球上の生き物のうちで一番醜いのが人間。なまじ知恵があるばかりに、下手をするとそうなってしまうことが分かっているからこそ、やせがまんとか誇りとかたてまえが大切とされていたのだと思うけれど。
醜い人間たちにはうんざりするわ。 byオーガスト