写真家風間健介の父は、日本では五指に入る山岳写真家である。健介は父と異なるコマーシャルフォトの分野に進み、大きな賞をいくつも受賞して時代の寵児となるが、しかしいつのまにか流れの本流からは外れてしまう。
そんな時、父恭造が脳出血で突然亡くなり、遺品の整理をする中で、健介は父の後を継いで山岳写真に移る決意をする。
そうして大雪山や石狩岳を中心とする撮影をしていて、エゾオオカミに魅入られたような不思議な男田沢と出会う。田沢は健介の父とも交流があったようで、次第に健介はこの男に惹かれ、ともに100年以上前に絶滅したと言われるエゾオオカミを追うようになる。
この田沢という男は、10年前に起きた殺人事件の犯人として服役、現在は仮出所中だ。その事件の背後には地元の有力者や警察・検察が絡んでいるようで、どうも冤罪ではないかと、所轄署にはいまだにその疑いを持っている刑事もいる。
リゾート開発のためオオカミなどに棲息されていては困るからかと思ったが、真相はさらに剣呑な様相を帯びてくる。この人間界の欲得が渦巻く薄汚さと対照的に、山々は神々しく、オオカミは優しい。とりわけ、田沢が十数年前に遭遇したというオオカミの親子の様子が魅力的だ。
今回この作品を読んでいて、中学生の時にジャック・ロンドンの『野生の呼び声』や『白い牙』を読んで感動したことを思い出した。ネイティブアメリカンとアイヌ人のオオカミに対する見方は非常に似ていて、どちらもオオカミがいることで生物の多様性のバランスがとれているとし、オオカミを神聖視している。
人類の開拓によってエゾシカが激減し、追い詰められたエゾオオカミは家畜を襲うようになり、それに困った人間がエゾオオカミを駆除、病気や人間の持ち込んだ菌などの影響もあるが、最終的にはアメリカから学んだ毒殺という手段で、エゾオオカミを絶滅させてしまう。
いまやオオカミが絶滅したことで、日本中どこもシカやイノシシが増えすぎて困り、オオカミを再導入しようという動きもあるというから、人間というのは本当に勝手なものだ。
10年前に田沢が犯人とされた殺人や、その周辺で起きる事件の真相を巡るミステリー要素にもぐんぐんと引かれるが、やはりこの作品の一番の魅力は山とオオカミに代表される自然の圧倒的な素晴らしさだ。そして対照的に薄汚い人間世界。
「自然というのは人間の頭じゃ想像もつかない奥深い知恵を秘めていて、人間以外のあらゆる動物がその知恵に謙虚に従って生きている。人間だって昔はそうやって生きて来た。何千年も何万年も・・・。ところがそのバランスをおれたちはたかだか百年か二百年でぶち壊した。自然より人間のほうが頭がいいと勘違いした結果だよ」という田沢の言葉を噛み締めたい。