半世紀近く拘束されたのちに、やっと冤罪が晴れた袴田さんのニュースも記憶に新しいが、今野敏さんの『化合』を読んでいる最中に、ネットフリックスで横浜流星さんの『正体』が見られるようになったので視聴した。
『化合』も、検事が余命いくばくもない恩師に自分の手柄を見せたいばかりに、まだ状況証拠しかない状態の被疑者に執拗な取り調べをし、刑事たちにもひたすらその証拠固めを迫るストーリーだ。面従しながら、したたかに腹背して別筋の捜査をする数人の刑事がいなかったら、この容疑者も司法の犠牲者になるところだった。
『正体』で、主人公の鏑木を追う刑事又貫は、いまひとつ鏑木を犯人と決めつけることに納得がいっていない様子だが、上司の刑事部長(松重豊)は「鏑木で決まりです。サッサと終わらせなさい。長引かせて良いことなど一つもない(実際のセリフは違ったかも)」と急かし、冤罪になるかもしれない容疑者のことなど、全く人間と意識していない物言いだ。
最近の世の中を見ていると、ああ、この刑事部長のように他者への思いやりや想像力などかけらもないような人こそが、出世しやすいのだろうなと妙に納得がいってしまう。日本で、世界で、力のある立場の人たちの言動を眺めれば、つらい目に遭っている人のことを自分と同じ人間なのだと思えば、言えない、できない、そんなことばかりだ。
『化合』では初動捜査で浮かんだ容疑者を検事が犯人と決めつけ、任意同行で出頭させ検事自ら連日自白を迫る。自白さえ取れればあとはどうにでもなると言う。心ある刑事たちがなんとか時間稼ぎをして、鑑識にも協力を頼んで科学的に反証を見つけ出す。そして真犯人を挙げた刑事たちの一人の、「これからは科学捜査が重要な役割を果たすだろう」という言葉で終わる。
この物語の舞台は1990年なので、現在はこの頃より随分科学捜査が進み、自白というものの位置や重要性も変わってきているのではないかと思うけれど、現在でも大川原化工機事件などが起こっているし、政治家には呆れるほど甘い検察を見れば、体質は決して変わっていないと分かる。
警察や検察に「コイツを犯人にする」という「筋読み」をされてしまったら大変だ。任意同行には絶対に従ってはいけないなと思うけれど、「ニンドウ」をかけられる状況になった時点で「詰んで」いるのかもしれない。
つけたし『正体』ドラマ版
『正体」については、亀梨和也さん主演のWOWOWドラマ版を、以前ネットフリックスで見た。こちらは1時間の4回もので倍近い長さがあるだけに、各職場で出会う人たちとの交流も細かく描かれ、惨劇の生存者の女性(黒木瞳)とのやりとりも深く、より鏑木の人間性は描かれているように感じた。

スタンディングの仲間にこの狭山事件の活動を熱心にしている人がいて、私もいちおう会員になっている。捜査の状況も大きく変わったのだから再審の扉はもう少し開かれやすくなるべきだと思うし、人間は間違うものなのだから、間違いを認め、訂正する社会になって欲しい。