あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

右手の沐浴

入院以来ずっと右手には点滴の針が刺さっていたので、沐浴の時も左手だけで右手は洗ってもらえなかった。

 

今日またシャンプーと手足の沐浴のケアがあり、先月15日の入院以来一か月ぶりに、初めて右手も沐浴をしていただくことができた。

 

このところ自分の手をふと見ると、あちらこちらにポヨポヨした皮膚がフワフワしていて、手の荒れるようなこともしていないのに何だろうと不思議だった。

 

そして思い至った。普段の生活でもきっとこんなふうに、常に体の細胞は古いものがはがれ落ちているのだろうと。ただ、しょっちゅう手を洗ったり入浴したりするので、こんなふうに目にすることなく流れ去り落ちてしまっているだけなのに違いない。

 

先日検査のために3日間絶食した時も、そんな日々のあとでもちゃんと排泄はあり、どうして?と看護師さんにお聞きすると、体は毎日新陳代謝しているので、内臓などからはがれ落ちた細胞などが出てくるんですよと言われた。

 

今までの人生で自分の細胞を意識することなどなかったが、今回思いがけないこうした体験をし、しみじみ「ああ、私の状態に関係なく、私の細胞たちは生きて働き、そして役目を終えて死んでいっているのだなあ」と痛感した。

 

74歳になっても(この入院中に私は74になった)細胞は活発に活動し、地獄のような痛みの苦しみから抜け出し、日々体の回復を目指している。細胞たち、ありがとう。これから私も負けずにリハビリに励まなければと思う。