物語りの語り手「わたし」は小説家だ。妻とランちゃんとキイちゃんという二人の息子がいる。胎教のせいかランちゃんは言葉の発達が早かったが、反対に胎教をさぼってしまったからかキイちゃんは言葉が遅い。1歳半の今も「だっだっだ」のような意味をなさない言葉しか話さない。けれども3歳のランちゃんはその言葉を解し、キイちゃんとちゃんと意思の疎通ができる。
「わたし」と息子たちは近所の紀ノ国屋に買い物に行った時に、ミアちゃんという、顔のパーツの一つひとつは完璧なのに、位置がひどくずれている少女と出会う。このミアちゃんも、あとの妄想パートで様々な存在となって登場する。
物語りの中盤の多くを割いて描かれる、ランちゃんの妄想(あるいはパラレルワールド?)部分では、さまざまな動物が殺し屋のランちゃんに依頼を持ってくる。
「紳士服のコナカ」で仕立てたみたいなスーツを着て、手には「ビックカメラ」の紙袋をぶら下げたシロクマは、地球温暖化で北極の氷が溶けて、この三年で、我々は三千頭も溺れ死んだんですよと言い、「資本主義者どもに死の鉄槌を!」と書いた名刺を殺し屋ランちゃんに出す(斜体部は作品から引用)。
鼻の先から「ビックカメラ」の袋をぶら下げた象は、人類を皆殺しにしたいほど恨んでいるだろうに、高貴な象は、「殺してほしいのは、ひとり」だと言い、それからゴリラやつがいのトキやキリン、タヌキ、カバ、サイ、オオカミ・・・が限りなく続く列を作る。
やがて自分の仕事に嫌気がさした殺し屋ランちゃんは、彼ら全員で武器を持って立ち上がればいいじゃないかと思うが、彼らは「そんな人間の真似なんかできません」と言う。ランちゃんの妄想物語パートにはさまざまな問題が出てくるのだけれど、この動物の訴え部分が、私には特に心に響いた。
それから、ランちゃんをリードする存在として出てくるマホさんという不思議な女性が、いま『悪』のために地球が大変な危機に陥っていて、パパやママや弟のキイちゃんを助けられるのはランちゃんだけだとランちゃんに告げる。
訳が分からないが、パパやママやキイちゃんのためとあっては行かなければと立ち上がるランちゃん。途中マンションのゴミ集積場を通りかかると、ゴミをちっとも分別しないマンションの住人の出したゴミが気になってしまい、分別を始める・・・。
この悪と戦わねばならないという危機に、それでもゴミの分別が気になってしまうランちゃんもとても好きだ。『悪』といっても地球規模で害をなす巨大なものから、ゴミの分別のように日常のなかの小さなものまである。あなたにとって『悪』とは何か。それを考えさせるために、タイトルの悪にはカギカッコがついているのかも知れない。
ハードカバーで結構な厚さもあり一見長編のようだが、紙が厚いのかページ数は300ページにも満たず、改行が多いので1ページの文字数は少なく、おまけに語調は、「オチムシャって、おれのだけカッコ悪くね?チョーヤバくね?」といった調子がこれでもかというくらい使われて、あっという間に読み終えられる。
読み終えられるのだけれど、物語が言わんとしていることは深くて考えさせられ、もう一度読み直さなければ・・・と思わせる。易しい言葉で深いことを考えさせる、簡単なようで難しいことだ。
高橋さんについては、各所の論説やXの投稿などは目にしていたが、小説は初めて読んだ。今風のくだけた調子の語りに初めは不快感を感じたが、しだいに高橋ワールドに引き込まれてしまった。
それこそちょうど今、この国でもとんでもない「悪」が暴れまわっている。退治するのは強いヒーローではなく、私たち一人ひとりだ。

「と」と「う」の文字のあいだで赤いマントの翻る小さな背中を見せているふたり。このイラストがたまらなく可愛くて、思わずこの本を借りてしまった。