marcoさんがオーディブルの体験談を書いていらした。
それで、久々に昔やっていた(平成9年~21年まで)音訳ボランティアのことを思い出した。30年近い昔、点字図書館で開催された「録音図書を作るための初級講習会」に、私は勇んで出かけた。自分が得意とする朗読がいかせると思ったのだ。
ところが最初の「音訳とは何か」の段階で、いきなり音訳は朗読ではないと知らされた。利用するかたの自由な解釈や味わいを妨げるので、音訳者の個人的な思いをのせてはいけない。また長時間ストレス少なく聞くためには、音訳者が表に出ず「文字情報を音の情報に変換する機械に徹する気持ち」が必要とのことだった。
また、marcoさんも書いていらっしゃるが、アクセントの違いなども気になって読書を妨げるので、自分の読書なら1時間もあれば読んでしまえそうな薄い文庫本1冊でも、音訳するとなればどれほどアクセント事典をひいたことだろう。単語そのものならまだよいが、数詞の付き方(2月、2冊など)などは、すべてのパターンが辞書に載っているわけではないので、巻末の「法則」のところを探さなくてはならなかった。
自分の読書なら適当に流してしまうこともできる人名・地名などの固有名詞の読み方やこうしたアクセントの事前の下調べに、どれほど時間がかかったことだろう。
けれども朝のニュースなど見ていると、今では自動音声がかなりうまくニュースを読み上げていて、すごいものだなと感心する。私がこの音訳初級講座で聞かせてもらった自動音声は、数分聞き続けるのも苦痛になるだろうと思われる代物だった。
音訳図書は視覚障碍のかたは著作権フリーで利用できるが、音で読書できるというのは健聴者にも大変便利なものだ。marcoさんも書いていらっしゃるように、手作業をしながら聞くことができる。それで一般向けの音訳図書が増えてきているのだろう。
私が音訳に携わっていた頃、いずれ本は出版の段階で、視覚障碍者もディスレクシアの人も、全ての人がタイムラグもハンディも味わうことのないマルチメディアの形で出されるようになると夢見た。技術的にはとうにそれが可能なところに到達していると思うが、大きな利益につながらないとなかなか進まないようだ。
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