あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

忙中閑あり

明日長男夫婦が来るので、このところバタバタしている。普段なあんにもしないで横着しているので、こういうことを少し丁寧な掃除のきっかけにする。数日前からトイレのカーテンを洗濯したり、飾りっぱなしの造花やドライフラワーなども、ほこりを払ったり洗えるものは洗ったりした。正月にも帰省客を迎えたのだが、その時に手が届いていなかったところがいっぱいあったし、やはり春は強くなった光の中であちこちが気になってしまう。

 

そして今日は買い物と作り置きできる料理を少々。ほぼやるべきことはやり終え、ちょっと一服というところ。

 

いつも長男の伴侶が忙しくて1、2泊しかできない。昨秋勤めを辞めて自営になったので今度こそゆっくりできるのかと思いきや、利用者さん第一の誠実な仕事をしているようで、忙しさは変わらない。まあこの国では、現役で働いている間はよほど恵まれた職場でない限り、ゆっくり休暇をとってはいられなのかも知れない。

 

今回も1泊だけなので、なるべくおしゃべりする時間を取るべく料理は手抜きだ。私は育て方を失敗して長男は料理が不得意だが、幸いパートナーが料理好きとあって、うちにいた頃よりずっと美味しいものを食べているようなので、帰省の「ごちそう」はもっぱらオシャベリ。もっと日にちがあれば美味しいプロの料理を食べさせに出かけるのだけれど、なにせ一晩では家でゆっくりが何よりだ。

 

さて、明日はもうひたすらおしゃべりでウオーキングも筋トレも休むことになるだろうから、今日はこれから筋トレをすることにしよう。

 

 

(猫ジャーナルさんのサイトより)

NHK+(プラス)を宣伝するけれど

朝のニュースを見ていると、毎日まいにちNHK+(プラス)の宣伝が入る。いかに便利かを訴え、QRコードでアプリケーションをダウンロードして、「おはよう日本」を通勤や家事の合間にも視聴するようにと宣う。

 

ハイハイ便利なことは分かりました!

 

しかし、便利なアプリを訴える前に、まずはしっかりした報道をしてほしい。いくらその便利なアプリをダウンロードして利用しても、「コンテンツ」が政府広報のようなものばかりではつまらない。

 

画面のアナウンサー諸氏、高給を食んでいるのだろうが、自分の伝えているニュースの内容に、むなしくなったりはしないのだろうか。そう感じるような人はすでに皆NHKを去ってしまったか。

 

同じNHK内でもドラマ部門はとがった作品を作っているのに、それに比べて肝心な自分たち報道が・・・などと考える人は、残っているのはつらかろう。

 

昨日、受信料の払込票が送られてきた(何年か前に口座自動振替をやめて、割高でも都度振り込みに替えたため)。すぐカードでの支払い手続きをしたけれど、どうもふがいない報道のためにいまひとつ納得のいかない思いが強い。

 

政府に献金したり裏金を貢いだりしている企業にCMをもらっているわけではないのだから、せめてNHKは国民が社会のことをちゃんと考えることのできる材料を報道してほしい。

 

NHKの報道が攻めすぎて、面白くないから国が予算を削るなどと言い出して制作費に困る事態になったなら、私は今の2倍でも喜んで受信料を払おう。

 

 

右端の猫がカワイイ!

誘われて喫茶店のモーニングへ

昨夜”言い出しっぺ”からLINEが入り、明日喫茶店のモーニングに行くんだけど、一緒にどうですかというお誘い。何も予定は入っていないし、同行することにした。

 

開店にちょうど間に合うようにと、朝8時15分にピックアップしてもらい、いつも”言い出しっぺ”が作品展に使うギャラリー喫茶田園に。5時過ぎに起きていつも通りトーストの朝食をとった私は、普段ならお茶の時間なので、ホットケーキセットにする。

 

早く行ったお陰で駐車場もまだ空いていたけれど、そのうちどんどんお客さんが来て店内は満席に。私は人に誘われたときくらいで、しかも昔からの友人は皆同じようなタイプが多いのでめったに声がかかることもなく、朝の喫茶店に行くことなど1年に何回あるだろうという感じだが、世の方々(主に高齢者)は朝から活発にお出かけのようだ。

 

”言い出しっぺ”は今年も何か作品展を考えているようだけれど、どうやら新しい表現方法を模索しているらしい。スタンディングの仲間なども加えて、さまざまな手法での発表を提案するが、私を巻き込もうとするのはやめてほしい。私は「表現したいもの」を持たない人間なのだ。創造は苦手だ。

 

ここ何年も、身辺のモノを減らすことを心掛けているが、同時にモノを作り出すことも避けている。絵画や洋裁・編み物・手芸などすべて。かつて知人に熱心に誘われて短歌のサークルに入った。短歌はパソコンに記録すればモノは生じないが、定期的に冊子ができてくるし、作品展などには色紙に書いたり額装したりして出品するので、戻ってくると困った。

 

それでも表現したいものが内心からあふれ出てくるのであれば致し方ないが、私はそういう衝動がおよそない。短歌も例会が近づくたびに苦しんで作っていたし、このブログは数少ない私の楽しみの一つではあるが、それでも結構書くことを探すことも少なくない。楽しみを義務や苦しみにしないため、書くことのない日は躊躇せず休むようにしたい。

 

だから”言い出しっぺ”のようにまだ仕事もしていて忙しい人が、折々に新たな作品を作り出してでも、展覧会をしたくなるという創作欲のある人に感心する。私は近くにいて応援し鑑賞する人をするから、作る側に巻き込もうとはしないでもらいたい。

 

 

ギャラリーではこの方の作品展が開催されていた。蝶と鮎がテーマだった。ご本人が会場にいらしたが、80代(女性)とお見受けした。

 

屈み女に反り男

相変わらず快進撃の続く朝ドラ『虎に翼』だけれど、内容もオープニングもさることながら、サブタイトルもまた興味深い。

 

第一週:女賢しくて牛売り損なう

第二週:女三人寄ればかしましい

第三週:女は三界に家なし

第四週:屈み女に反り男

 

という具合にきた。今秋の「屈み女・・・」は初めて出合う言葉だった。今のところ、どれも現代の感覚では「とんでもない」と総スカンを食らいそうな言葉ばかりだ。

 

このままずっと、半年間女にまつわることわざでいくのだろうか。そんなにたくさんあるのだろうかと心配になるが、「ことわざ辞典」のサイトには故事・慣用句を含めて70近い言葉が並んでいるので、半年くらいは問題ないかもしれない。どんな言葉が続くのか、楽しみに待ちたい。

「女」を含む故事・ことわざ・慣用句一覧

 

 

なんか、ポテチでもつまんでいそうな背中・・・。 (ねとらぼさんのサイトより)

ツツジは盛況ライラックは不調

今週は見守り当番。相棒の方が体調不良でお休みなので、今週はずっと一人だ。私の相棒はメンバーの中でも特に高齢の方が多いからか、体調悪化やらで次々入れ替わる。ジンクスになって、避けられるようにならないと良いけれど。

 

今日は授業参観だったようで、半分くらいの子供たちが親御さんと一緒に下校していった。そのせいもあってか、「さようなら」の挨拶が普段以上に元気な子が多かった。ほとんどの親御さんは挨拶をして通られるが、中には私の挨拶に無言の方もいて、そういう人のお子さんは、私が「さようなら」と声をかけてもやはり無言だ。

 

昔読んだ育児書に「親になったらおしゃべりになりましょう」とあったが、これは本当に大切なこと。沈黙は金ということわざもあり、無口は悪いことではないけれど、こと子育て中は、無口な人でも極力おしゃべりになるほうが良い。まあ、性格なので難しいだろうけれど。

 

見守りを終えて家に戻る。そろそろツツジが咲き始めている。団地内にはツツジがたくさん植えられているので、これからしばらく楽しめる。

 

我が家の玄関側の共有スペースのツツジは、以前は私が変な時期に刈り込むので花の少ない時もあったが、今はなるべく花が終わったらすぐ、あとで追加で刈らなくても良いように思い切り刈ってしまうように心掛けている。それが奏功したか、今年はたくさん花をつけている。

 

 

対照的に今年のライラックの花は、非常に寂しい。去年私が花がら摘みを怠ったからだろうか。おまけに肥料もやらず放りっぱなしなのだから、花が少ないなどと文句を言えた義理ではないが。

 

3か所くらいしか花をつけていない。

 

みごとだった頃のライラック(よそ様からいただいた10センチほどの枝を挿してついたもの)。このあと外壁塗装の足場組のためモッコウバラライラックも伐採。モッコウバラは消滅。嬉しいことにライラックは再生したが、まだいまひとつ元気がない。

 

花苗の植え時だとは思いながら、どうも苗や土を買いに出かける気になれないでいる。かつては庭づくりにかなりの情熱を傾けていた時期もあったが、だんだんその熱が下がり気味。

嗅覚と認知症

気ままで自由な一人暮らしを続けるためには、身体的な健康ももちろん大切だけれど、それ以上に認知症が重大な問題だと感じている。

 

身体が少々不自由になっても、ご近所さん同士で助け合うことができるが、認知症が進んだ場合はそうはいかない。外出の都度付き添うことは出来ないので、今までにも、すぐそばまで来ていながら、家が分からなくなりウロウロして困っていた方がいた。火の始末なども近隣の方の大きな心配のもとだ。

 

こうしたことが、今まで民生委員として地域の高齢者と関わってきた経験からもよく分かっているので、なんとか認知症にならないで暮らしたいものだと切実に願っているが、今朝のテレビの健康番組で嗅覚の衰えと認知症に強い関連があると知り気になった。

 

もともとあまり嗅覚が鋭いほうではなかったが、近頃とみに衰えを感じ、まあ年齢とともにすべての身体機能が低下していくのだから仕方ないか・・・と思っていたのだけれど、脳の中でにおいを認識する部位とアルツハイマー認知症の初期に変化が起きる部位は重複するため、アルツハイマー認知症の人は、初期から嗅覚障害が起こるらしい。

 

今のところ、長谷川式の認知症テストのような問題には十分対応できるので、現在の嗅覚低下は年齢によるものだろうと思ってはいる。また聴力と違って、嗅覚の衰えが直接認知症を進めるというわけではないようである。

 

それでも、音とか匂いとか、五感を刺激するものが減るということは、それに反応する脳の対応も減るということで、老化を進める要素にはなることだろう。高齢になるほど、良い匂いをかぐ、綺麗な音を聞く、美しいものを眺める、美味しいものを食べる・・・などといった体験を、積極的に求めるようにする必要があるのかも知れない。

 

補聴器は使い始めたものの高額の割にそれほど効果を実感できず、もう映画や演劇はほとんど諦めてしまった。ありがたいことに現代はインターネットのサブスクリプションというサービスがあるので代わりに家庭での鑑賞を楽しんではいるが、やはり劇場の大画面・大音響や、生の演劇の熱い感動は味わうべくもない。

 

けれども、こうしてブログを書くことで、日々何かブログのネタになることはないかしらと心を動かし変化を求めることも、脳の刺激にはなっているのではないかと思う。ブログサービスがある限り、80歳になっても90歳になっても続けていたいものだと思う。

 

 

う~~ん、いい匂い! (ねこちゃんホンポさんのサイトより)

あこがれの「きみ」

よそさまの噂話になるけれど、marcoさん(id:garadanikki)ちのパートナーさんのMOURIさんは、marcoさんのことを「きみ」とお呼びになる。先日のパソコンスタンドを買われた話でも、そのスタンドがとても調子が良いそうで、「調子いいよ、君も使ってみるといい、買ったげるよ」と仰ったそうだ。

 

これを読んで私は「ああ素敵!」と思ってしまう。実は私は「きみ」と呼ぶ人と出会ったことがない。いつも名前で呼ばれてしまう。で、「きみ」と呼ばれることに憧れがあるのだ。

 

白魔女さん(id:whitewitch)のお宅でもパートナーさんは白魔女さんを「きみ」と呼んでいらっしゃる。これはもしかしたら地域的な問題か。首都圏の人は、「きみ」という二人称をパートナーに使うことはそんなに珍しいことではないのだろうか。

 

科捜研の女』では、土門刑事がいつもマリ子さんを「おまえ」と呼んでいる。それを聞くたび、私なら土門さんに「おまえ」と呼ばれたくないけれど、マリ子さんは抵抗を感じないのだろうかと思う。恋愛ドラマでも結構「おまえ」呼ばわりがあるけれど、そのことに抵抗を示すヒロインはめったにいない。

 

もちろん「おまえ」は「御前」でもともとは敬意を込めた呼称なのだけれど、これは「やばい」などとは逆に私はその敬称であった時代を知らず、もっぱらぞんざいな使われ方をし出してからしか知らないので、つい抵抗を覚えてしまうのだ。

japanknowledge.com

 

そうは言っても、これが土門さんでなく(土門さんごめんなさい)自分の好みのタイプの人が親愛をこめて口にしたのなら、抵抗どころかデレデレしてしまうかもしれない。

 

 

話がそれてしまったが、長く夫婦をしてきた二人が、なお相手への愛や信頼を込めて呼びかけ、相手を思いやる姿は美しく、周囲の者の心まで温かくする。それはたぶん「きみ」とか「おまえ」とかいった呼称だけの問題ではなく、その底に流れるものの温かさなのだろうけれど・・・。

 

 

実は毎年相手を替えるというオシドリ夫婦。 (鳥・撮り・トリミングさんのサイトより)

 

【追記】

リアル世界の友人では、かつて宮中晩餐会に出ることになった友人について書いたが、その友人のパートナーさんがやはり「きみ」と呼んでいて、素敵なご夫婦だ。

yonnbaba.hatenablog.com