あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

手前味噌ならぬよその味噌

先日長男から、「お盆に帰省できなかったから10月の連休に行きたいんだけど」と連絡があった。そして、味噌がなくなってしまっているから、また頼んでもらえないかという依頼もあった。

 

青森を離れて30年以上、私の友人がずっと年末にお米を送ってくれるのだけれど、何年か前から自家製の味噌も一緒に送ってくれるようになった。それをコロナ前のいつだったか、正月で帰省した長男夫婦の帰りに持たせたところ、長男の連れ合いがすっかり気に入ってしまい、もうほかの味噌は食べられないと言うようになってしまった。

 

友人は売るために作っているのではないのだけれど、近くの親類などにも分けて喜ばれているらしい。長男夫婦から、無理のない範囲でいいから分けてもらえないものか頼んでほしいと言われ、お願いしたのが昨年の始め。その後友人は息子の所へ自家製味噌を送ってくれたらしい。

 

昨年の暮れに私の所へいつも通りお米とともに届いた味噌を、他の荷物を送るついでに長男の所にもおすそ分けで送ったのだが、それも終わってしまったようで、できればまた購入させてもらいたいということのようだ。

 

その依頼をするために久しぶりに友人に電話をした。友人は親の後を継いで豆腐店をしていたのだが、このところの原材料の値上がりもあり、機械が故障したのを期に、とうとう家業をたたんだとのことだった。

yonnbaba.hatenablog.comんだか

 

遠く離れてしまって彼女の店の豆腐を買いに行くことは出来ないのだが、それでもあの豆腐や油揚げがもうこの世にないのかと思うとちょっと寂しい。長年、朝早くから忙しく働いてきた友人夫婦には、やっとゆっくりする時間が持てそうになったことは喜ばしいことだけれど、働き者のご夫婦ゆえ、家業はなくなっても何やかやと世のため人のために動いていそうな気はする。

 

今年は青森でも39度などという最高気温を記録し、9月に入っても暑い日が続いていたようだが、さすがにこのところはすっかり気温も低くなったそうだ。もうすぐ津軽には長い冬がやってくることだろう。コロナの様子と相談しながらだが、仕事をやめて時間ができたであろう友人を訪ねて、そろそろ十何年ぶりかの青森行きを考えようか・・・。

 

 

「だはんで~」は「なので~」 (猫スポットなびさんのサイトより)

 

 

人々の小さな営み『ひとっこひとり』東直子著

すべて18ページのごく短いお話が12編。「小説推理」に2022年5月から2023年4月まで1年間掲載された作品のようだ。市民館の新刊書のコーナーで見つけた。

 

出版社の紹介文:

私たちが日常で交わす何気ない言葉、「大丈夫」「ごめん」「もういいよ」「なんで?」「ありがとうね」などのひとことをテーマに綴った短編を収録。孤独や寂しさを抱える現代人の心を掬い取りながら、ラストにはほのかな希望をそっと提示してくれる物語。歌人としても活躍する著者の、言葉のセンスがきらめく12編。装画を手がけた人気イラストレーター、三好愛氏の挿絵が彩りを添える。

 

その人自身にとっては大変な出来事でも、はたの者にはどうということもなく、日常的にあちこちで起きていそうなこと。それを著者の繊細な目がとらえて温かな物語に織り上げている。

 

「もういいよ」の主人公は赤ちゃんの時に母親が死んでしまった高校生の芽以(めい)と、そんな娘を市役所の定時で終われる部署に異動して、ずっとシングルファーザーで育てている父親の二人。あるブログの弁当写真が芽以の弁当と全く同じことに気付いた友人の指摘で、そのシングルファーザーのブログが芽以の父親のものだと知られ、友人たちから母親がいないことに同情される芽以。強い反発を覚え帰宅して父親にあたってしまうが・・・。

 

物心ついてからなら寂しくもありつらくもあるだろうが、確かに赤ちゃんの時から母親がいなければ、その子にとってはそれが当たり前の状態で、「かわいそう!」と思われてしまうことは不本意かもしれない。けれどもちょっとした行き違いがあっても、この物語の父娘の愛情はまっすぐぶつかりあって、爽やかな感動を贈ってくれた。

 

「ありがとうね」の主人公は25歳のサラリーマン博之と、中学時代の国語の教師岡本先生。仕事の出先で時間が空いた博之は、実家に寄ってちょっと休もうと母親に電話する。ところがどうも電話の受け答えがおかしい。オレオレ詐欺と間違っているのかと思ったが、母親の番号を「お母さん」で登録していたために隣の「岡本先生」にかけてしまったらしい。

 

岡本先生の息子も裕行(ひろゆき)だったために、電話で互いに混乱したのだった。近いから実家ではなくうちにいらっしゃいという先生の強い誘いに、訪ねていく博之。先生の息子は博之と年まで同じだった。しかし高校生の時に病気で亡くなっていた。

 

まるで長いこと不在だった息子がやっと帰って来たかのように歓待する岡本先生と、その気持ちを思いやり優しく接するかつての教え子博之。人と人のつながり・交流っていいなあと、しみじみと胸にしみる。

 

出版社の紹介文にあった通り、歌人でもある著者のていねいに紡がれる言葉が心地よいが、「ごめん」の中に出てくる「自分もていたらくの一味なのだ」というところは引っかかった。しばしばこうした使い方を目にするけれど、「ていたらく」は「有様」のことなので、これと入れ替えてみると分かり易い。

 

あと、最後の「きれい」という物語の中に、主人公の一人である大学生が「おおあったかい。ありがたいっス」という場面があるが、この本の中でスマホとかインスタグラムといった名詞以外で時代を感じさせる表現はこの一つ(と私は感じた)で、非常に残念な気がした。それまでの話し方からいけば、この人物には「ありがたいです」の方が自然で、このような現代のおかしな敬語表現を使う必然性はなかったと思う。

 

例によってつい引っかかってしまった2点を取り上げたが、全体が良かっただけに気になってしまった、瑕瑾です。

 

 

 

胸痛む話

連日報道のかまびすしいジャニーズ問題。かなり早い段階で顔や名前を出して被害を話したカウアン岡本さんは、豊橋市の出身だという。まだファンや世間がこの事件をあまり認めたがらない時期だっただけに、かなりの誹謗中傷を受けたのではないかと思う。

 

そのカウアンさんには、中学生の弟さんがいるのだそうだ。いつも帰省した次男と会うのを楽しみにしていて迎えに来てくれる友人は、そのカウアンさんの弟さんの通う中学校の校区に住んでいる。先日次男と会った折りにその話が出て、その弟さんが学校でいじめに遭っていると聞いてきた。

 

カウアンさん本人への中傷ももちろん許せないが、弟さんまで理不尽ないじめに遭っていると知って、非常に腹立たしく、また悲しい。不当な被害をこうむった人が、相手をきちんと法で罰してもらい適切な賠償を受けることになると、妬ましいのか、決まって罵詈雑言を浴びせる人が出てくる。本来糾弾するべき罪をなした人にではなく、攻撃が被害者に向かうのがなんとも情けない。

 

今回のこの事件は、罪を犯した当人は法で裁こうにもすでに亡くなってしまっているが、ジャニーズという会社や、半世紀にもわたる間知りつつも問題に蓋をしてきたマスコミ、番組やコマーシャルなどに使い続けた企業なども責任は重く、それらが真に反省し厳しく軌道修正するのかはなはだ疑わしい。

 

またその事務所に所属するタレントにしても、十代や二十歳そこそこの若者ならいざ知らず、いい年をしたタレントたちが、本当にかばうべき被害者なのかは非常に疑問だけれど、だからといって、被害を受けているかどうかの告白を迫るのもおかしい。記者たちは、公職者にはもう一歩も二歩も踏み込んで質問してほしいと思うのに腰が引け、こんなところでズカズカと切り込むのは勘違いも甚だしい。

 

せっかくBBCの報道によって、この国の闇に閉ざされていた開かずの間のドアが開けられたのだから、マスコミも深く反省し責任を再確認して、本当に問題のあるところにメスを入れて、この際ぜひカルト宗教と政治の闇まで白日の下にさらしてほしい。

 

報道を見守る私たち一人ひとりも、真に責任を追及し改めてもらう対象を間違えないで、被害者やその周囲の人には節度ある態度がとれる人間でありたいと思う。

 

 

卑怯なヤツは俺が許さニャイぜ! (ねこちゃんホンポさんのサイトより)

考える植物

星新一さんのショートショートに、高い知性を持った植物が出てくる作品があったと記憶しているし、モーツアルトを聞かせると植物の成長が良いとか、優しい言葉をかけているとよりきれいな花を咲かせるとかいう話も時々耳にすることだ。

 

私も我が家のポトスを見ていると、ちゃんと考えているなあと感心してしまう。ポトスは結構丈夫な植物で、私のようなズボラな人間のもとでもどんどん成長して茎をのばす。あまり長くなると切るのだが、切ったつるを捨てることができなくて、適当な容器に水を入れて挿しておく。

 

するとこれもやがて成長してまたつるを伸ばすのだけれど、この水に挿したものは、土に植えてあるものと違って伸び方もゆっくりならつるも下に伸びず横に広がるのだ。土に根を張ったものと違って、水に挿しただけのものは下に伸びるとバランスを崩して落ちてしまうから、まるでそれを避けているとしか思えない。

 

これは土に植えたポトス。少し前に切ってしまったのでまだあまり伸びていないが、放っておくと床に着いてしまいそうなほどに伸びる。

 

こちらは流しの上の吊り棚にのせた水に挿したポトス。土に植えてやれば良いのだけれど、ズボラな私は水だけでもポトスが平気なことを良いことに、水に挿したまま。ここに乗せて何年もたつが、棚より下に伸びてきたことはない。

 

先日終了した『アストリッドとラファエル 3』の第7話(9月3日放送)でも、植物の知性(ねむの木だった)が扱われていたし、その放送から間もない9月13日に放送された『科捜研の女』でも、大学の実験植物園で事件が起き、植物の発する超音波から事件の真相を探るというようなストーリーだった。

 

それから、久米宏さんのニュースステーションの頃なのでもう随分前になるが、スタジオに電極をつないだ蘭(だったか?)の鉢がたくさん並べられ、端のひと鉢に水をやり始めると、その周囲の鉢の植物とつながれたグラフがいっせいに激しく上下に動くという反応を示した(離れたものは無反応)。その様子はまるで「ワーイ、水がもらえる、ワーイ!」とはしゃいでいるように見えて、この時の衝撃は忘れられない。

 

植物など何も感じず知性などもあるわけがないと軽く考えるのは人間の勝手で、ただ人間が知らないだけなのかもしれない。動物を食べることだけが罪深いことでも残酷なことでもなく、とにかく人間は他のものの命をいただかなくては自分の命をつなぐことができないのだから、肉であれ野菜であれ、ありがたく感謝していただき、無駄にしないことがせめてもの恩返しだと思う。

寂しい魂『存在の美しい哀しみ』小池真理子著

タイトルに惹かれたが、自己陶酔型の物語だったら・・・という一抹の不安がよぎる。しかし、小池真理子さんの作品では今までそうしたものに出合ったことはないので、信じてみることにした。

 

プラハ芸術大学音楽学部チェロ科の修士課程まで終えて、今もプラハで暮らす芹沢聡という男性と、彼を巡る人々の物語を、それぞれ視点を変えた7つの物語で立体的に構築した作品である。

 

第1章「プラハ逍遥」は、死の床に臥した母奈緒子から異父兄聡の存在を知らされ、母亡きあと、兄の住むプラハに向かい、妹であることを隠しガイドとして兄を雇って、芹沢聡と初めての対面を果たす後藤榛名の物語だ。

 

第2章「天空のアンナ」は、自分の死期を覚悟した奈緒子が、優しく理解ある夫の信彦の許可も得て、高層ホテルの47階にあるジュニアスイートルームに一人で宿泊し、自分の人生の軌跡をたどり記憶を甦らせ思い出に浸り懐かしむ物語だ。「アンナ」は奈緒子がホテルの部屋のテレビでふと目にする映画『アンナ・カレーニナ』のアンナだ。

 

第3章は奈緒子が介護サービスの仕事で出入りする「ひまわりホーム」の介護士深田芳雄の物語「我々は戦士だ」、第4章は奈緒子の夫の職場の部下、玉岡知沙の物語「ただ一度の」、第5章は奈緒子と離婚した芹沢喬が、再婚した相手史恵の物語「荘厳の日々」、第6章は聡の妹恵理の物語「片割れの月」、そして最後の第7章は榛名のプラハでのガイドを終えた後の聡の物語「ウィーン残照」。

 

非常に妻への理解と包容力に富み、理想的とさえ思える奈緒子の二度目の夫後藤信彦と、対照的にチェロの才能やそれを活かす環境には恵まれているが、奈緒子に対し非情とも思える勝手さを見せた最初の夫芹沢喬、この2人のキーマンの視点の話はない。けれども、周辺の人物の物語から、偏りのない2人の男性の像は浮かび上がってくるようだ。

 

タイトルから反射的に『存在の耐えられない軽さ』を思い浮かべたが、やはりそれにまつわるものだった。聡と榛名がプラハを散策していると、走って来た子犬が榛名の足元にまつわりつく。飼い主が「トマーシュ!」と呼ぶ。そして2人は主人公の外科医の名がトマーシュだったと、この映画の話になるという場面がある。

 

榛名も聡も比較的恵まれた環境にある。榛名は恋人に去られたあとであるが、聡には非の打ちどころもないような恋人も存在する。それでも、特に最終章の聡の物語には言いようのない寂しさが漂っていて、生きるということは根源的に寂しいことなのかも知れないと思う。非常に余韻の残る作品だった。

 

 

プラハのカレル橋の写真を使った装幀も素敵

 

情報をどう見るか

昨日の署名活動についての記者会見が、今日は新聞記事になった。

 

目下話題の中心の豊橋公園(2015年のユネスコの平和学習出前授業風景)

 

 

中日新聞

 

朝日新聞

 

どちらも、現在の新アリーナ計画の問題点に触れ、だから市民グループはそれについて民意を問うために住民投票が必要で、署名活動をするのだという紹介をしている。

 

そしてこれは豊橋市に拠点を置く地元紙東愛知新聞の記事。ちょっと画像が荒くて読めないかも知れないが、アリーナの問題点には全く触れず、「市民団体が署名活動をする」ということしか伝えていない。行政側と利害が一致しているのだろうかと深読みしてしまう。

 

そして、以前にも触れたけれど、非常に不自然なパブリックコメントの集まり具合。

【追記】この表は、公文書公開請求をして開示されたものだそうです。

7月11日が当初のパブコメ締切日。ここまでで344件で、通常のパブコメを思えばこれでも非常に多い数だ。なのになぜか締め切りは延長され、以前書いたように、一行だけの同じような雰囲気の賛成意見ばかりが延々と続く。そして最終日にはなんとたった1日で3759件が提出されたことになっている。ウェブ上で見るパブコメのpdfファイルも344番までは雑多な文章が並びごく自然な印象だが、このあとガラッと雰囲気が変わる。

 

この見るからに不自然なパブコメの集計後の、市長定例記者会見を報じた記事:

豊橋市の浅井由崇市長は7日の定例記者会見で、豊橋公園を建設候補地とする多目的屋内施設(新アリーナ)基本計画案の中間報告に対する意見募集(パブリックコメント)の集計結果を公表した。建設に好意的な意見が8割超にのぼったという。

 市は6月12日~7月20日までパブコメを実施。4679人と6団体から計5006件の意見が寄せられた。

 説明によると、「元気の良いまちづくりに必要」という意見や防災拠点としての機能、イベントやコンサートの来場客によるにぎわい創出に期待するなど好意的な意見が、担当部署の感触で8割を超えていた。その一方で建設に懸念を示す意見として、駐車できる台数が足りないとか「(収容人数)5000人規模では中途半端」などの声もあったという。

 集まった意見はすべて、今月中旬すぎにホームページで公開予定。市はパブコメを反映させた基本計画の最終報告をまとめ、今月中に公表するとしている。

 5000件を超えたパブコメの結果に会見で「数が多くて驚いた」と感想を話した浅井市長は、8割超が新アリーナ建設に好意的だったことに「ありがたい」と述べた。

 

この記事はやはり豊橋市に拠点を置く地元紙東海日日新聞社のもの。地元経済界とのつながりは、前出の東愛知新聞社以上かもしれない(地元大企業の役員がこの新聞社の役員)。

 

 

私はこれら3紙の記事を見てつい裏を読んでしまうのだけれど、日付ごとのパブコメ提出数の表とともに、豊橋とは何の関係もない方たちの目には、どう映るでしょうか。

あの日から8年

今日は9月19日。8年前の今日、国会で安保関連法が成立してしまった。

 

7年前の私のブログ:

yonnbaba.hatenablog.com

 

このブログを読むと、ママの会の仲間(今も活動しているのだろうか)とまだ随分熱く活動していたのだなと思う。そんな私でも、後半の「9.19を忘れない諦めない」の駅前での集会&パレードに参加した感想には、居心地の悪さやなじめない気分が綴られている。この集会は、中心になっているのが筋金の入った長年の活動家の人たちなのだ。これでは、ごく普通の活動などしたこともない人たちには敬遠されてしまって当たり前だろう。

 

この安保法の成立の後、豊橋では毎月19日に集会&パレードを何年も行っていたが、今はどうなのだろう。土曜日のスタンディングにでも参加すれば、そのあたりの消息も聞けるのだろうが、もう私の中のスタンディングの火はほぼ消えてしまった?いや、埋火だろうか?掘り起こせばまた燃え出すか?かなり怪しい。

 

2019年にはまだ参加していた。

yonnbaba.hatenablog.com

 

この後コロナ禍となり、おそらく2020年からは開催されなくなったのではないだろうか。そして目下当市では喫緊の課題である新アリーナ問題への取り組みがあるので、まだこちらの取り組みの復活どころではないのかも知れない。

 

アリーナ問題と言えば、今日も朝9時から市役所のロビーでこの運動についての記者会見を行うと友人から連絡が入っていた。一緒にどうかと誘ってくれていたが、民生委員である私は署名の受任者にもなれないし、たいした役割を果たせないので遠慮した。ちょうど今放送されているローカルの情報番組『アップ!』内で流れるらしい。

 

東日本大震災の時には、原発の爆発や津波の悪夢のようなひどい現実を目にし、日本人の拝金的な価値観も大きく変わるだろうと思った。そして昨年、元首相が凶弾に倒れ、それに伴ってカルト宗教と政治のつながりが暴かれて、政治も大きく変わらざるを得なくなるだろうと思った。

 

それなのに、この不思議な国は何もかも数年で忘れてしまう。いや数年どころか、カルト宗教と政治の実態など去年暴かれたばかりなのに、すでにして多くの人々の頭からは消えかかっている。

 

駅前のスタンディングからも、毎月11日のフラワーデモからも離脱してしまったような私が、こうしたことを言うのもおこがましい気がするけれど、しかし、私は形は変えながらも考え続けているつもりだ。そして、なかなか効果的な運動の仕方は見つからないけれど、少なくとも、大切な一票は決して無駄にしたくないと思う。

 

 

がんばろ~!  (ねとらぼさんのサイトより)