あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

昔話と絡めた女性の半生『瓜子姫の艶文』坂東眞砂子著

伊勢松坂の遊女屋の伽羅丸は、間(あい)の山で拾われたみなしごだ。かすかにおっ母さんと暮らしていた頃の記憶があるが、切れ切れでおぼろ、今は木綿問屋の主亥右衛門(いえもん)の表の妻になることを夢見ている。

 

この遊女伽羅丸と亥右衛門の妻りくと、交互の視点から語られる形で物語は進む。それぞれの章の始めには茶碗と鉄簪のイラストが描かれ、茶碗はりくを、簪は伽羅丸を表しているのだが、読者はやがてこれが主要人物の死につながる象徴だったことを知ることになる。

 

この茶碗と鉄簪のイラストとともに、物語には瓜子姫と天邪鬼の物語や、お蔭参りの人々の掛け声が繰り返し繰り返し出てくる。物語に独特の雰囲気を醸すと同時に、終盤にはみごとにこれらがつながり響きあって、伽羅丸の不確かだった記憶がよみがえり、あっと驚く結末へとなだれ込む。

 

遊郭と言えば吉原や島原は物語にもよく出てくるが、松坂を舞台にしたものは初めて読んだ。東北の出でありながら、吉原にいたことを鼻にかけて、「ありんす」言葉を使う遊女や、京都にいたことを自慢する遊女がいて、いつの時代のどの世界にも「カースト」があり、女たちが「マウント」をとりたがっているのがあわれ。

 

江戸時代の伊勢参りが非常に盛んだったことは知っていたが、「お蔭参り」の年に当たると、道中の宿も食べ物屋も間に合わなくなるほどの規模だったと知った。物乞いと変わらないような状態の者もかなりいて、寝食にあぶれた人たちに対し、現代で言う「炊き出し」のようなことを裕福な商店主などが行った様子も描かれていて、江戸時代の伊勢の混乱を目の当たりにする気分を味わった。

 

伽羅丸とりく、二人の女性がよく描けているのに対して、亥右衛門の印象が薄いのを物足りなく思っていたが、最後になるほど、そういうことだったか!と納得させられた。

 

 

知らずに借りて来てしまったが、著者は何年か前に子猫を崖から投げ捨てて殺したことで話題になった人物で、そんな人の作品を読むことに当初ためらいを感じたが、読んでみればミステリとしてもよくできていて、なかなかに読み応えのある作品だった。

 

 

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裏表紙やカバーの内側にも茶碗と鉄簪が。