あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

求めていたものに出合った『光の指で触れよ』池澤夏樹著

ああ、私はこれを求めていたのだ!と思った。漠然と指向していたものが、はっきりと形をとってこの物語の中にあった。何十年か若い日に読んだら、きっと生き方を左右されたことだろう。

 

 

物語の中心となるのは「ぼく」の友人の天野家。大きな会社で、風力発電の風車を設計する夫林太郎と妻アユミ。そして息子の森介と娘のキノコ(本名は可南子)。仲のいい家族だった。

 

それなのに、ある時夫林太郎は仕事仲間の部下の女性と恋に落ちる。まさに、落ちたのだ。神のいたずらとしか思えない悪天候にさえ遭わなければ、家族を愛している林太郎は踏みとどまったのだろうけれど。

 

嘘の下手な夫の恋はやがて妻の知るところとなり、妻アユミは幼い娘キノコを連れて家を出てしまう。その時息子はすでに全寮制の高等学校に行っていた。

 

キノコを連れたアユミはオランダにいる友人を頼り、やがてその友人を通してフランスにあるエコドルプというコミュニティを知る。宿泊施設と畑があり、野菜を自給自足できるくらい作っている。お金を払って滞在してもよいし、ボランティア・スタッフになれば宿泊と食費はただになる。宗教色の濃いところもあるが、エコドルプはエコロジー思想が中心になっているという。

 

これからの自分の生き方をゆっくり考えたいと思っていたアユミは、キノコを連れてそこに行くことにする。そしてエコドルプで暮らすうち、さらにもう少し精神性が高く規模も大きいスコットランドのユニコーニアという組織に移っていく。

 

コミュニティで出会う様々な人物や生き方と同時に、日本の場面では、高校生の森介の友人やその実家の魅力的な大家族のことや、林太郎の知人の娘で森介が惹かれていく明日子などが描かれる。そうした人々の周辺には、パーマカルチャー(自然から何も収奪せず、何も加えない農業)に取り組む人もいる。

 

都会で時代の先端とも言える技術を仕事とする夫と平和で安定した家庭を築いていた妻が、夫の恋愛をきっかけに、対極とも言えるほとんどお金を必要としないような暮らし方の中に身を置き、心の平安を感じながら、いままで見ようとしないでいた過去の自分とも向き合い、これからの生き方を求めていく。

 

この物語に出てくるコミュニティが、簡素で静かで実に心地よい。ユニコーニアの方は宗教ではないながらも少々精神的な行為(作業の前にみんなで手をつないで同調をはかる、など)をするところが私は苦手だが、それを除けば、こんな暮らしならどんなに心穏やかに過ごせることだろうと思う。

 

アユミと話し合い、コミュニティも実際に見たいとユニコーニアにやってきた林太郎とアユミが話し合う中に、ユニコーニアに出入りする人が多いことや、中には30年住み続けている人がいると聞いた林太郎が「何がいいんだろう?」と尋ねる場面がある。

 

「競争がない。お金の役割が小さい。みんなそれぞれに精神的な目標を持っている。お互いを評価しないけど、それでも人の話はよく聞く。他の人の生きかたに関心がある」とアユミが答える。

 

「理想の生活みたいに聞こえるけど、どうしてそれが可能なんだろう?」という林太郎に、

「そういう人たちが集まっているからかな。でも、人はもともとそういうものかもしれないわ。外から煽られなければ、人はけっこう静かに暮らして幸福なの。新製品もいらないし、出世もいらない」とアユミ。

 

そう、そうなんだ。今の世界は人々を煽るばかり。そもそも資本主義というのが煽るシステムなのだ。そして踊らされる大衆・・・。

 

林太郎と知人夫妻が、お互いに我が子がつまずきかけた日本の教育について語る場面では、

「ランドセルの形から色まで決めるようなところだった」

「学校とは何か?改めて考えてみると、子供を加工するところという感じが強いんだな。ファクトリーだよ。子供という粘土のかたまりを入れると、成形して、着色して、熱で硬化させて、均一の製品にする

 

というやり取りがあって、日本の教育を実に的確にとらえていると思う。

 

オランダにやってきた森介にアユミの友人が言った言葉もささる。

みんながね、自分と他人の間の距離を測っているの、物差しで。他の人からあんまり離れてはいけないって、いつも計測している。無意識にやっていればいいんだけど、気が付いてしまうと疲れるのよね」

 

森介の友人の父親で、脱サラをして東北で農業をしている耕作の夢、

「自分の畑の作物だけ喰って、ニワトリとヤギを飼えば玉子とミルク、それに肉も手に入る。水は川から、電気は風から。ヒツジを飼えばセーターも自前、と言うのは行きすぎかな」

これは私の夢でもあった。

 

 

500ページを超える長編にもかかわらず、引き込まれて夢中で読んだ。改めて購入し蔵書にすることも検討中。

 

 

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カバーのこの写真は、十三歳で全盲になった写真家の作品だという。