あとは野となれ山となれ

こどもや動物、みんなが安心して暮らせる世界でありますように・・・

最も惹かれた人『光の指で触れよ』再び・・・

昨日あれだけ書いたのに、実は最も心惹かれた人物に触れていなかった。ユニコーニアの近くで、コミュニティには属さず一人で自給自足に近い暮らしをしているトーマスという人だ。

 

ある日、アユミはキノコとその友達であるオリヴィアを連れてユニコーニアの近くを散歩していて、庭なのか畑なのか判然としない雑然とした場所に出合う。男が一人働いており、アユミを認めると、手伝ってくれないかと声をかけてきた。こうして知り合ったのがトーマスである。

 

ここは畑なの?と聞くアユミにトーマスは言う。

「きみはこの混乱が畑かと疑ったね」

「畑というのは広くて、平らで、同じ種類の作物が秩序正しくどこまでも植えられたところだと思っている」

「ぼくはまず自分が食べる分だけ作ろうと思っている。いろいろなものを少しずつ。それも作物どうしが助け合うように工夫して。工場で作る肥料を使わず、機械を使わず、なるべくお金と無縁に、ここだけで食料を得るのが目的」

 

家はと言えば、何年もかけてあちこちからもらった廃材を使って、自分で建てたものだ。けれどもそんな風には見えず、統一感もある。アユミがそう言うと、トーマスは「根気とセンスだよ。ただなら何でももらうわけじゃない。欲しいものが来るまで待つ。だからこの家はいつになっても未完成だ」と言う。

 

トーマスの原理は自給自足。いろいろなものを少しずつ作る。営利としての農業は効率優先で単作になる。世界中の農夫が単作で何か作って、欲しいものを互いに交換するのが現代の経済だ。その過程でいっぱい不正が紛れ込む。畑を作らないでオフィスでいばっている奴がいちばん儲ける、と言う。

 

こういう暮らしで不安ではないのかと問うアユミにトーマスは答える。

では、どんな暮らしなら不安でないか?何ならば絶対の安心の保証になる?外に保証はない。保証は自分の中にしかない。世の中のたいていの人は決まった収入で暮らしている。週に何百ポンドとか、お金が入ってくることになっている。外から入ってくるお金が暮らしかたを縛る。このくらいの収入だからこんなものを食べて、こんなものを着て、こういう人たちと交際をする。そういう形に沿って生きる。

 

だって、楽だものとアユミが思うと、「でも、そういう形から降りると、すごく自由になるんだよ。大事なのは、本当に自分にとって必要なモノは何かを見極めることだ」とトーマスは言う。

 

この暮らしにはお金、本当にいらないの?とアユミが聞くと、「絶対いらないとは言わない。そんなにムキにはならない。小麦粉や砂糖はこの畑では作れないし、家の材料を運ぶのに友達のトラックを借りれば、ガソリンくらいは補充して返す。その分のお金はなにかと入ってくるんだよ。ガソリンの代わりにジャガイモを渡すこともあるけれど」とトーマス。

 

「現代人にとって家は住むところ、暮らすところではなくて、買ったモノの展示場になってしまったのさ。冷蔵庫を過不足なき満杯の状態で維持するための人生」

とか、

「そもそも土地を私有するという考えが間違いなんだ。本来ならば土地は誰のものでもない。公有でも共有でもない。土地はただそこにある。耕すという行為の対象になり得るものとして、そこにある」

 

などというトーマスの言葉は、かなり以前から私の中にもあったもので、非常にしっくりくる。

 

泰然自若だの明鏡止水だのという日本語を知っているトーマスは、日本人の禅の力を信じていて、アユミにも敬意を示すのだけれど、このトーマスが現代の日本人の思考停止ぶりを知ったらどう思うだろうか。

 

農業を始められる体力を有する年齢だったら、トーマスの家の近くに耕す土地を見つけ、彼に教えを請いながら、ぼつぼつと自給自足に近い暮らしをしてみたかったものだと夢想する。助けてもらって、廃材で質素な家を建てて・・・。

 

 

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父親の恋愛で壊れる前の天野家を描いた物語。前後するが、今度この作品も読んでみたいと思う。