あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

液体の日本人、固体の西洋人

一昨日紹介した『すべてがFになる』の中に、興味深い話があった。主人公の犀川助教授の言葉として出てくる。

 

日本では、一緒に遊ぶとき、混ぜてくれって言いますよね。混ぜるっていう動詞は、英語ではミックスです。これはもともと液体を一緒にするときの言葉です。外国、特に欧米では、人間は、仲間に入れてほしいとき、ジョインするんです。混ざるんじゃなくて、つながるだけ・・・。つまり、日本は、液体の社会で、外国は固体の社会なんですよ。

日本人って、個人がリキッドなんです。流動的で、渾然一体となりたいという欲求を社会本能的に持っている。欧米では、個人はソリッドだから、けっして混ざりません。どんなに集まっても、必ずパーツとして独立している・・・。ちょうど、土壁の日本建築と、煉瓦の西洋建築のようです。

 

 

なんだか非常に納得のいく説だ。渾然一体となって混ざるのが望ましいから、混ざらないものは「水と油」と嫌われ、とけ込まないことを「浮く」と言って非難する。ソリッドならば、いつでも元の個人に戻れるし、次にまた違うソリッドとジョインして新しい状態を生み出すこともできる。

 

液体で渾然一体となって溶けてしまうので、その結果起きた事象に、元の個々の液体として責任を感じることもないのかもしれない。なかなか興味深いたとえのように思う。

 

 

だんご状態だけど、もとの個体を失ってはいニャイよ。(ねこのきもちさんのサイトより)